京都市も、他の都市に比べれば伝統的民家が2万件以上はある(WEBの記述)と推定されるので他の都市と比べれば多い方だろう。実際に新業態の店や住宅としてよく利用されているし、民家を保存再生しようという組織も複数ある。だかそれで街並みが形成されているかといえば、必ずしもそうではなく、やはりリニアに点在という感はいなめない。
ではどうしたら点在から抜け出せるか。例えば街角における伝統的民家群の連続なのだろう。通りを曲がるとやはり伝統的民家が続いていたというあたりに連続した空気を感じるのかもしれない。ある通りのT字路を曲がっても民家が続いている気配は、時代劇のセットで用いられる方法だけど、そんな交差部こそ民家の連なりを感じさせるかもしれない。
それにしても京都市あるいは伝統的建造物群保存地区をのぞけば、全国で古民家は次第に数が低減してゆく一方だ。現代住宅と比較して何が違うのかといえば、内装さえ模様替えすれば大して違わないといえる。それに古民家の土壁は、防音、防寒に優れており、こんな優れた建築材料が使える職人さんが今はいないのが現状だ。今民家を修復すれば断熱材を入れたプラスターボードに上塗りあたりになるだろうか。それでも柱や梁は丈夫なので十分民家として機能できる。
つまり内装の模様替えさえすれば、古民家は現代のライフスタイルに十分合致できるわけだ。そのことは既に古民家を活用している若い人たちの多くが実証していることからもあきらかだ。
古民家を捨て住宅を新築して内外装を一新したからと入って、その結果何を得たのだろうか。そんな新建材の家がまちまちに建ち並ぶ姿は現代人の近代合理主義が通りに露出してきたみたいで景観的に美しいとはいいがたい。今の京都市内の通りの街並み景観も、四条通をはじめとして全国どこにでもあるありふれた姿になってしまった。
そう、つまりいじらなけれぱよかったのだけど、すでにおそい話である。現代建築を勉強してきた筆者が古民家を追いかけるのも、建築のプロポーションや街並みが美しいだけではなく、その背後にあるその土地固有の風土的了解の姿あるいは論理があるからだ。そんな風土的了解の姿や論理が地域の個性を形成しているわけだ。
京都市醒ヶ井通り姉小路角
EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM
IOS200,焦点距離35mm,露出補正0,f/2.8,1/6