このブログのカテゴリー欄は、住んでいる町、しばしば頻繁に訪れたり仕事で何回も訪れた町、それ以外のところは旅・フィールドとし、そのほかに3DCGや、デッサンなどのドローイングに区分し、任意のカテゴリーをクリックすれば該当するブログだけを抽出してくれる。
個人的には撮影機材のカテゴリーを開きながら寝酒をのみつつ、どこに旅に出ようかと思うときが結構楽しい時間だ。それに次の旅にはどの機材を持って行こうかとか、新しい機材を調達するかとか、まあ方向違いのことを考えているわけだが・・・。
機材はよいのだが、その旅というのが難問なのである。例えばアンダーグラウンド劇団天井桟敷を主宰した青森県出身の寺山修司の頃の昭和40年代といえば、そりゃーエスニックな被写体で日本はあふれていた。だが今は青森市も近代的な街並みとなりどこにでもある都市景観が広がる一方で民族的な風景は皆無だ。つまり機材はあっても被写体がないというわけだ。
そこで海外となるが、地球上のエスニックな被写体も容易にあるのは観光目当ての擬似的な姿が目につく。まあそこで建築ぐらいは容易につぶさないからまだ残っているかとおもいきや、古民家の間にコンクリート造の建築が新しく建ってしまったりと珍奇な光景が多くなった。次第に意欲が失せてゆくだろう。
伝統的建造物群保存地区とか世界文化遺産などに指定されたときから、それまでの人間の生活がスポッと抜けて、箱だけの建築群がのこるというリアリティを欠いた嘘くさい風景が多くなってくる。それが今の世界なのだろう。だから今の地球上は嘘風景ばかりだといいたくなる。
ではどのような風景がリアルなのかの一例を示したのが今日の画像。ここは観光地ではなく後ろの農産物をいれた籠やまちまちの履き物をみればわかるように、れっきとした中国雲南省の少数民族の姿であり、この街の周辺に居住している農民達の姿だ。これが私がいうところのリアルな風景である。だが背後の建築が新しい。私達が最後の訪問者だったりするかもしれない。
というのも今の近代化が急速に進んでいる中国でこのようなリアルな農村の風景は、もうみられないかもしれない。もちろん観光用コスチュームで同じ衣装をきた展示はあるが、そんなのを私が撮影する気分ではない。
時代は動いているのだから、そんな昔の風景を追いかけてもしょうがないよと言われそうだ。私達は海外の山の中でアメリカ製のGパンをはいた地元民に出会うことになるのだろうか。
だから海の中の世界を撮るわけだけど・・・。
中国雲南省大理-麗江の途中の町,1999年8月
EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクローム2