大理の大きな公園の緑陰に年寄り達が100人以上集まり手作業をしている。それはペー族(白族)の正装をつくっているところだ。なるほどこうして民族衣装の技術が伝承されて行くのだろうと眺めていた。こうした仕組みがある限り、ペー族の正装が継承されて行くのだろう。
もしあなたが、どこかの留学先でペー族の女の子と意気投合し(大理の女の子は社交的だと思うけど)、そして口説きおとし、そして彼女がこの民族衣装を着て現れたら(つまり正装で)、それはもう彼女としては最大の意思を伝えていると思ったほうがよいのだろうと考えていた。ましておばあちゃんがつくってくれたのと言われたら、あとには引けないですよねぇー。おおっ、こわ!、そんな想像をしながら、年寄り達の作業場の脇を通り過ぎた。
WEBの記事で大理は日本人バックパッカーの沈没地という記事を読んだことがある。だからこの土地に住み着く日本人がいるとか、それ本当だろうか。確かに山紫水明の土地で、ペー族の若い女子は日本人のようでもあり、容易になじみやすいのだろう。こちらは沈没に遭遇する前に、沙坪(シャーピン)の市場へ出かけたが、地球の歩き方に記載された曜日には行われていなかった。多分大きな市場だったのだが残念。多分曜日が違うのだろう。
大理は、それまでの中国のドロドロとした漢民族の風土から抜け出した山紫水明の高原の街だった。そこへおばあちゃんが手作りで刺繍をした正装でエキゾチックな若い女の子が登場し沈没させられる、どこか桃源郷のような話でもある。
それは置いといて平昌オリンピックの開会式をみていたのだが、どうも毎回国は違えどいつも企画が同じで退屈なのである。国の歴史に始まり、世界の友好だとか交流だとかを賛辞しつつマスゲームで盛り上げ、ハイテクノロジーを駆使して演出するというおきまりのステレオタイプ化したワンパターンだ。次の2020東京オリンピックでは、もう少し画期的で新しい開会式を期待したいけど・・・。
中国雲南省大理,1999年8月
EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクロームⅡ