Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak152. 菅平の民家

2018年02月24日 | field work

 今日もデュープ後の菅平の民家の画像をアップ。カラーネガからデジタルデュープをつくり、Lightroomだけでは補正しきれないので、Photoshopで大いに補正してなんとか見られる状態にするわけだが、カラーネガそのものをみていても気づかないぐらい小さな白点が画像面にみられ乳剤の剥離あるいはカビらしいものだろう。

 さて画像は、1983年の冬の菅平の民家。薪が積んであるので薪ストーブで家全体の暖房としているのだろう。一冬分の薪といったらよいか。こうした地方は、冬に備え食料や暖房用の薪をあらかじめ準備しておかないと冬は越せない。

 菅平は今日あたりの最高気温で0度だから、寒いときは常時0℃以下の気温の中で私はマウンテンバイクで走り回っていたことになる。当時そんな低い気温は意識しなかったが、それでも定宿にしていた筑波大学生物センターの食堂では、暖め続けている味噌汁がぬるいのが当たり前だったし、室内の窓は二重窓でそとには氷がこびりついていた。

 研究目的だから撮影を意識しなかったためか、撮り方も機械的でアップできるカットは少ない。そんななかから、こんな民家はいまの菅平にはないだろうという画像をアップさせた。というのも古民家も今はペンション風に改築されていて、結構雰囲気の良い高原にしようと努力した結果それなりに新しくなってしまった。そうした程度の設備でないと、ラグビーの練習にやってくる今の学生達の居住スタイルに合致しないのだろう。そう夏の菅平は大学ラグビーのメッカなのである。

 試行錯誤の結果デジタルデュープのシステムもできたので、まれにフイルム画像で撮影してみようと思うが、いかんせんフィルムの価格が2倍以上になっているが、軟調の画像は、それも表現方法の選択肢の一つなのだろう。全てがデジタルである必要はない。

 今WEB情報に辟易している人間は多いし、当たり前の話だがWEBに依存していてはなにも勉強にならないことに人々は気がついている。そうWEBというのは、たんなる広告媒体の一つに過ぎないのであり、そんなものをみていてもなにも得るものはない。要は自分のライフスタイルの中で使い分けをしてゆけばよいだけの話である。

 私はNetscapeの時代からWEBを使っていたけど、その後Windowsが登場し一気にWEBがくだらなくなってきたし、その頃から使い分けが始まった。WEBで便利なのは、一々現場に資料を探しに行くところが、デスクにいながら入手できるといった程度だろうか。そろそろ電車の中でスマホに没頭する子供ぽいスタイルから脱却したらと思う。車窓から外をみれば絶景が広がっているときだったあるのだから。

 さて平昌オリンピックは、女史フィギャのフリーを放映していた。なんか子供がでているのだけど、日本の選手みたいだ・・・。金:ロシアのザギトワ!、体形からして15歳で大人の空気が漂う新星。銀:メドヴェージェワ、意外にも新星には適わなかったか。銅:オズモンド、絶対に失敗しないという安心感があるよね、という結果であった。

 そこからかくんと落ちるのが日本の宮原選手の4位、それ以降はみんな一緒。宮原選手の言葉「自分の演技ができれば満足です」という言葉が暗示しているように、どれだけ努力しても追いつくことができない天性がメダル受賞者の3人にあった。天性は努力を超えるのである。だから宮原はどんなに努力してもとても追いつけないと思って愕然としていたと推測する。そんな愕然としている選手にインタビューなんかするなよなぁー、NHKもぶしつけだし、多分選手はそっとしておいて欲しい気分だったと思うな。

 

1983年長野県菅平

NikonF,NikkorHAuto28mm/F3.5,コダカラー

コメント
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