Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

EOSな日148. 中国は一つではない

2018年02月12日 | field work

 麗江は、世界文化遺産の街だから旧市街だが、かって雲南省の地震で倒れた建築も中国政府が一気に復興させた。それは我が国の役人達がチマチマとやる仕事の遅さに比べれば格段に早い。その旧市街地をあるくと、東京の竹下通りみたいな空気が漂うのはなぜだろうか。所詮ここは観光地なのだからというあきらめの気分で徘徊していた。

 観光地だから、見世物的な施設があり、ああっ、ここはナシ族の施設か。庭ではナシ族の衣装をきた叔母ハン達が踊っているし、なにやら民族音楽を紹介しているコーナーもあるのか。どうせ観光地なのだから撮るものはないという先入観念で歩いていた。

 民族音楽を紹介するコーナーに楽団がおり、まあ10元(1,300円)もあげておけばよいかと正面の箱に投げ込んだら、前にいた笛吹きが眼を白黒させて一気に音程が高くなり始めた。そんな楽団員を眺め回して驚いた。みんな年寄りが多いのだが個性的な顔立ちばかりなのだ。これはすごく面白くすごいと思い直してみていた。観客は私一人だったが、次!、というプレッシャーが聞こえてくるだろう、さて行かねば。

 そんなわけで早々に席をたったのだが、これも撮りそびれた風景である。それもでるときに雑に撮ったからphotoshopで修正しても限度がある。当然画像の写りは悪いし、楽団員の個性も撮れていない。そうした個性的な楽団員を一人ずつ撮っておけばよかったと後悔している風景だ。観光地だからという先入観念が邪魔をしたのだろう。

 私達が歩いたところは漢民族が支配する中国とは異なり、少数民族の土地であった。決して経済的には豊かではないこの土地を歩き、貧しいという空気は感じられなかった。それよりも人間が大変個性的なのである。もう一つの中国といってもよいだろう。中国は一つではないのである。

 さて昨日の平昌オリンピックでは、最大の関心であるアルペン滑降が天気が悪く延期となり、しょうがないから女子シングルショートプログラムをみていた。

 日本からは宮原知子が登場しているプログラムだけど、宮原は完璧な演技だったとアナウンサーは報じていた。うん!、オリンピックにでくるぐらいだからみんな完璧な演技をしてくるのはあたり前なのだけどと私は思った。宮原の演技をみていて、完璧な演技をしましたという堅苦しさがあるんだよね。それに音楽の中の祭りのメロディーが古くさい。30年前なら日本の独自性があったけど、いまはインパクトがない。

 そのあたりは審査員がよくみている。やはりなんといっても誰でもが知っている一般性のある音楽で優雅に舞ったロシアのE.メドヴェージョワが優勝候補。こりゃ主役はメドヴェージョワにさらわれたな。

 

中国雲南省麗江1999年9月

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクロームⅡ

コメント
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