Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak151. デュープ後の画像

2018年02月23日 | field work

 前回の方法で取り込んだカラーネガフィルムをデジタルデュープ後の画像が本日の画像である。取り込んで補正済みの画像を、さらにPhotoshopでイメージ→レベル補正で少し発色をあげたものである。ここまでくるとなんとか見られそうになる。デジタル機材で撮影した画像と比べると発色の穏やかなマイルドな画像だ。今もフィルム機材で撮影する方法も一理あるかなとおもう。

 この頃、大学院の修士論文で菅平地方に通っていたころである。ときには雪が降り続け、マウンテンバイクで雪の上を走りまわり、ときにはそのまま雪の下の地面の穴に落ち込んだりと難儀なこともあった。もう今の菅平には、こんな景色は随分と少なくなってしまっただろう。

 当時人文社会学が元気であり、記号論で研究しろというリクエストもあり、そんなのは分類はできるがなにも論じられないとする意見もあり、結構議論の素材があって研究室も元気だったのだ。

 でっ、私は記号論に見切りをつけ風土的な展開を探ろうと試みた。風土的にこの地方の民家が配置されているというのはわかったが、それ以上の当時の論理は無く、結果として修士論文は惨敗だった。今ならば、これに風力学のシミュレーションを加えると論理ができたのだが、当時そんなプログラムは少なかった。なにしろパソコン自体がなかったのだから。そのあたりから、人文社会学的アプローチは説得力がないという考え方が生まれたのかもしれない。惨敗とはいえまあなんとか修了し浜野商品研究所(浜研)にすべりこんだのだった。

 研究としての理論ができあがったのは、浜研で自治体の地域振興政策書を書きながら以降のことであった。そして私が大学で教えたのは、先ずアイテムカテゴリーを設定し多変量解析を用いて解析するという、なんともプラグマティックな研究スタイルだが、それで多くの論文を書いてきたことは事実である。何のことはない科学論文の書き方の一つだったわけである。

 そうか、こういうことをやれと教えようとしていたのだなということは、随分後になって気がついたことである。だが大学院であれもこれもと学んだことは今でも随分と役立ったことではある。そして博士論文も、こうした方法でまとまった。今思うと、意欲だけはある頭脳的な未熟者がはしゃぎ回っていただけか。

 そんな過去の記憶を思い出させてくれる画像でもある。

 

1883年長野県菅平

NikonF,NikkorHAuto28mm/F3.5,コダカラー

コメント
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