Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

EOSな日141. 市場本来の姿

2018年02月05日 | field work

 このブログ2007年10月25日〜12月16日の間中国雲南省の建築や集落を紹介しています。そのとき紹介しきれなかった少数民族の姿を、リバーサルフィルムのデュープ画像を用いて少しだけ語ろうと思います。

 この画像は、昆明から車で3時間半のところにある武定郊外の集落で市場が行われていた時に撮影したもの。定期的な市場であり、一番綺麗な格好をして多様な少数民族が市場に集まってくる。そうした人々の表情がいかにも市場を楽しんでいる楽しそうな空気。ああっ、この雑踏こそまさしく市場の活気だと思っていた。

 やはり市場は、生活必需品を調達する場であり、あるいは農産物を交換するといった場でもあり、だから農産物やさまざまな商品が一堂に会するし、情報交換や交流の場でもあり、飲食娯楽の場にもなっているなど多機能であるが故に市場固有の活気も生まれてきます。こうした多機能性こそが市場の本来の姿でしょう。

 だからみるものすべて魅力的だったから、36枚撮りのリバーサルフィルムは10分もすれば撮り終わってしまうぐらいに、2台のフィルム撮影機材(EOS3とオリンパスXA4)でこれでもかというぐらいフルに撮りました。それでも随分撮りそびれたモノがあるぐらいです。これぐらいの被写体だと撮影しようという意欲が大いにわきます。最近のデジタル機材は、そうしたフィルム切れの心配は無くなったけど、被写体の方もなくなってしまったから、撮影機能ももてあまし気味。

 もちろん日本の函館市場や京都の錦市場なども活気はありますが、それらは観光という単機能の市場です。従って特に買い物をするわけでもなく通過して行くだけの物見遊山なビジターが多い。私は、そういうものを撮影したいという気分にはなれません。

 また日本には中央卸売市場がありますが、どこか物流センターのようでもあり業者オンリーですからビジネスライクなんですね。だからここは通例許可がなければ撮影できないし、これも私は特に撮りたいとは思いません。

 そんな中国の市場も、いまもあるかどうかはわからない。市場がなくなってスーパーになってしまう可能性だってある。それに少数民族の文化も世代が変わり、それをを引き継ぐかどうかはわかりません。だからなくなりつつある魅力ある文化や民族を画像にとどめておきたいとするモチベーションがわくのでしょう。そんな被写体に地球の上で遭遇したいけど、既に時遅しかもしれませんね。

 

中国雲南省武定郊外

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクロームⅡ

 

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