横浜駅の東口はSOGO百貨店がありはするが、どこか近寄りがたい退屈さがあったのに比べて西口は、建物が乱雑に隣接して建ち並び、運河が通り、屋台が連なり、人出も多く、街の構造は単純なのだが、それでも混沌とした世界だった。それは今も変わらないだろう。このメインストリートの一番奥に東急ハンズがあるから、すくなくともそこまでは繁華街が連綿と続いていた。仕事に飽きる夕方頃になると散歩がてらに飽きるほど訪れた。
この頃は、名古屋の大学に赴任していたが、新設学部だから学生数も少なく、自由裁量労働制(働く時間と場所は自分で決めなさい)という規則をいかんなく発揮し週に二日も大学にゆけばよい方であり完全に自宅ワークだった。ネットワーク社会を先かげていたので、自宅仕事でも十分用は足りたのである。おかげで学生達からは、大学にあまり来ない先生という認識もされた。
さらに上手がいて、大学には月一度という先生もいたぐらいだ。そうなるとほとんど行かないのに等しい。大学とは、そういうところなのだ。みんな自分の仕事があって、自宅なら雑事にかき回される必要がないから、論文や原稿の執筆などがはかどるのである。
毎日大学へ行くようになったのは、京都に引っ越してからだった。新幹線通勤で毎日通えること、そして自分の荷物を全部大学へ送ってしまってから後のことである。そうなると今度は、大学に泊まることにもなる。実際大学に連日泊まり生活をしていた先生もいたぐらいだ。
不思議なのは、本代や新幹線通勤の費用の半分を自分で負担していたことだ。全くお人好しな話なのだが、あり得ないことが大学ではおきる。
だから大学の先生も文献や研究資料は個人で所有している。それは大学院時代からの習性なのだろう。本などは図書館で購入すれば返さなくてはいけないが、個人所有ならその必要がない。おかげで大学の先生が読んできた本を学生達が読むという教育上の効果は皆無である。それよりも学生達も本を読まなくなったということのほうが大きい。
そんな個人蔵書も大学を退職するときにほとんど図書館に寄贈してしまった。つまり邪魔だからという理由で。ここまでくるとお人好しの限りである。
それでも自宅には、まだ6連分の書架以上の本がある。全く片づかない。ありがたいのは最近学会誌が電子ジャーナルになったことだ。毎月届く学会誌をストックすれば、あっというまに書架が一杯になる。自分が投稿した論文が掲載されている学会誌は残すが、あとは全部捨て。アカデミズムというのも大量の紙を消費する世界だ。それで文化が継続されるのだろう、・・・多分ね(笑)。
街論の話を書こうとして、また脱線してしまった。
1997年横浜市、ミノルタCLE、Leitz Elmarit28mm/F2.8,トライX