この葉の色は新緑ということもあるが、その緑の中でも綺麗な色なのでコンタックスT3の色かなぁー!?、と解釈。そう思って満足できたら幸いなのだけど。
ふと読者が過去ログを引き出してくれた。2018年3月15日「科学のメス」というタイトルの私のブログだ。ブログは東北大震災で被害を受けた福島第一原発(F1)のことを書いた。よく人は事件は風化させてはならないというが、風化させないためには、科学のメスを用いて何故事件となっていったかについてその背後要因や意志決定の過程などを科学工学的にシミュレーションしながら解明し、結果としての知見を明らかにすべきであり、過去の人たちは大津波記念碑のように、海抜60mまで津波がきたと定量的に知見を残していたということを書いた。
もちろんメデイアや世間がいうところの風化させてはならないというのは、文化系のいうことだからスローガンで終わってしまう。実際は時間がたてばみんな忘れてしまい何の知見も残らないのがこれまでの経緯。
風化させたくなかったら、どうしてあのような津波に流されるところにF1は、電気設備を置く設計にしたのか、そのときの意志決定のメカニズムはどうなっていたのか、当事者達の心理構造はどうなっていたか、津波が予想され指摘されたにもかかわらずどうしてその意見は排除されたのか、シミュレーションの結果はどうだったのか、そのときの設定値は何を用いて何が欠落したのか、などなど。そうした説明はモデル式をつくりシミュレーションしたりと多分に工学的な方法になるわけだ。だから原発という科学の所産を文化系的説明をされても、こちらは全くわからない。
例えばイタイイタイ病とか水俣病も、環境がおかしいと最初に気がついたのは地元住民達だったけど、測定したらおかしかったと定量的に実証したのは医者であり化学の技術者だったことを思えば、やはり科学的解明が事件解明には不可欠だ。
実際科学工学を扱いながら、重要な意志決定のところで工学的な数字を用いずに、しいていえば経済的数字だけでプロジェクトを進めたりもする。ビッグプロジェクトこそ、そうした傾向が強いことを私は経験的に知っている。重要なプロジェクトほど見えないところで意志決定をするという日本人的な間違った方法をとっているのではなかろうか。だから文化系にビッグプロジェクトは触って欲しくないですね、危ないし。
それに津波の恐れがあると指摘されたにもかかわらず排除されたメカニズム、などというテーマは十分一般性がある課題だと思うけどな。
やはり議論は科学工学的データに従ってシミュレーションや解析がなされるることこそ技術立国日本の姿なのだが、どうも最近の新聞やニュースを見聞きしていると論拠とするデータもなく様々なことが語られているところに、こちらは、よくわからんなぁーといつも思う。わからなければ風評メディアと思っておくことにしている。
少し過去ログの話の補足説明になったし堅い話になった。
さて足指骨折完治させて、早々に沖縄へダイビングにゆこう。昨日は医者に出かけ、ようやく中指で固定していたテーピングとれて、歩いてみましょう(既に歩いているが)といわれ陽が射した気分だ。葵祭などに出かけて足を踏まれて骨がずれてハイまた二ヶ月治療と言われたらやばいのでパスして、今週は、養生!しつつ歩きはじめよう。
2018年、京都市中京区六角堂
ContaxT3,Sonnar35mm/F2.8T*、プロビア100