Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak215. 私的ブログの書き方

2018年11月26日 | diving

 画像は、海底の岩にへばりつくクリスマスワーム。僅か2cmにもみたない大きさだが、ダイビングのはじめに接写テストでいつも撮ることにしている。これがちゃんと撮れれば、今回のダイビングもなんとか撮れそうだというわけだ。

 さて私的ブログの書き方でもメモしておこう。学術論文を書いてきたから、事実を適切な言葉で表現し、私が調べられない根拠のないことは書かず、書いた原稿は極力読み返して推敲し、といった類いの基本的な執筆姿勢で時間をかけて書く場合もある。その結果読まれているかというと、アクセス数が大変低かったりする。つまり難しそうだからパスというわけだ。

 またあるときは、気分のままに筆の勢いで書く場合もある。例えば「2017年11月1日、専門知識は誰のもの?」、では突然アクセス数が高かった。いまはなきリファレンスブックである「While Earth Catalor」と映画「ドリーム」を引き合いに出し、「映画では、専門知識は知っているだけではなく、人々が活かすことが大切ということを教えてくれています。」だからリファレンスブックには意味があるんですよという趣旨のことを書いたら読者に受け入れられたと類推している。多分面白い情報ソースを毎日交換するコミュニティがあるのだろう。大学とか友達同士といった・・・。

 つまり社会的に、あまりしられていない素材と映画という共通性ある話題とを組み合わせ、最後に人生の知見を披露すると読者に支持される、というのが読者が期待する書き方の構造の一つになるのだろう。そしてあまり推敲して文章を固めないフランクさがあるとブログ的ということだろうか。

 要は、執筆者がそんな後者のような良心をもって毎日書いて12年間続けられますかと問えば、まあ私は不可能よ(笑)。そんな良心を語るより、道楽などについて書いた方が、書きやすいしさ!、というのがある。

 gooのブログなかで、私の大学時代の建築設計の先生のブログがあり、時折読んでいた。先日このブログを開けたら、奥さんの文章で先生は8月に80才で亡くなられたという記述があった。それは私と違って、律儀に建築の設計の話ばかりであった。多分ブログがいずれ冊子が本にでもできるぐらいの内容とボリュームだっただろう。ご冥福を祈る。

 ブログを何故書くかといえば、生きている、いろんな経験をした、集めた、使った、考えた、文章にした、といった人間の存在証明のように感じられる。どこかにその存在証明を書き残したいというのが人間の習性なのだろう。

 私もそんな習性でブログ書いているのかもしれない。ただし私が自分のブログに飽きるまでだが・・・。

 

沖縄県チービシ諸島

Nikon W300,NIKKOR 5X OPTICAL ZOOM4.3-21.5mm、F2.8-4.9

ISO200,焦点距離11mm,露出補正0,f/8.9,1/30

 

コメント
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