Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編546. "ANAK PAWIS"

2022年06月03日 | field work

 

 NIKKAが沢山の画像を送ってきた。

私は写真を選ぶ機会が多いから、それは良いことだ。NIKKAのコメントには短く"ANAK PAWIS"としか記されていない。ちゅんと記述しないと世界はわからないのだ、ということに彼女は関心がないようだ。 

しょうがないからWikの英語版で調べた。フィリピンのパーティーであり、国家民主主義、労働者の賃金の引き上げ、土地を持たない住民への直接配分、農業改革法などを掲げた政党と記載されていた。

NIKKAの記述には、伝統的と書いてある。過去にアナクパーウィスという政治家がたい。彼は農地改革や労働者賃金向上などの政策を実行し、いまの政党の礎を築いた。私は、そのように解釈していたが違うの!?。

それにしても、賑やかなパレードなのだろう。だから音がないのは寂しい。

前にもブログで書いたが、私は、3年前にフィリピンの町の教会で葬式に出会った。棺の前後には軍楽隊のような身なりの楽団が控えている。出発したらジャズ調の明るいメロディだった。あの葬儀のパレードはgoodだ!。

是非日本でも葬式は、楽団を前後に配したパレードスタイルがあってもよい。それを京都でやったら、「なんかパーティーどすか?」という京都人の前を棺が通過してゆくのは、面白い。

撮影:NIKKA PAGTALUNAN

 

"ANAK PAWIS"
NIKKA sent me a lot of images.

That's good because I have a lot of opportunities to choose photos. NIKKA's comment only briefly mentions "ANAK PAWIS". She doesn't seem to be interested in the fact that the world cannot be understood without a proper description. The

I couldn't help it, so I looked it up in the English version of Wik. It was a party in the Philippines and was described as a political party that advocated national democracy, raising wages for workers, direct allocation to landless residents, and the Agricultural Reform Act.

The description of NIKKA says that it is traditional. In the past, a politician named Anak Parwis is hard. He implemented policies such as land reform and raising worker wages, laying the foundation for the current political party. I interpreted it that way, but it's different !?

Even so, it's probably a lively parade. So it's lonely that there is no sound.

As I wrote on my blog before, I met a funeral at a church in a Filipino town three years ago. Before and after the casket, there are orchestras dressed like military bands. When I left, it was a bright jazz-like melody. That funeral parade is good!

Even in Japan, funerals may have a parade style with orchestras in front and behind. If you do that in Kyoto, it's interesting that the casket passes in front of the Kyoto people who ask, "What's the party?"

Photo: NIKKA PAGTALUNAN

 

追記 

マニラから1時間半のブラカン、NIKKAの家に滞在して9日目。毎日叔父さんのトライシクルを自家用車にしてフィリピンの田舎を走り回っている。さて持参してきてよかったものに翻訳機POCKETTALKがある。

しかしiPhoneに比べるとプログラムで日本製品の欠点を露呈する。なによりも2カ国語の会話を切り替えるときに余計な指示画面が登場し、一々消さなければならない。それに2カ国の言語設定が、勝手に切り替わるのも悩ましい。画面操作だから指が横に滑るということはよくある。しかしすぐにリカバリーできるところがiPhoneだ。

POCKETTALKは、いざ使おうとするときに言語設定が勝手に切り替わったままなのが悩ましい。それに頻繁に使用する言語は、リストのトップにくるようにすべきだろう。いつまでもあいうえお順では、バカじゃないの、これ!、としか思えない。

人間は、間違える動物だ。だからミスの予測工学が必要だし、この研究が必要だ。その上でiPhoneブログラムがつくられているが、日本製品は、ここが弱い。というか全く関心がない。ただブログラミングどおりに使えばOKではないのである。日本の製品開発者はわかってんのかなあ。

精々日本製品に存在するのは、配慮だ。配慮とは余計なお節介である。そんなものが一々画面に登場されては適わない。

配慮という面倒くさいこと、そしてミスに対する科学的アプローチをしない。日本の欠点だ。つまり科学の最重要概念である一般化という概念が日本人に希薄なのだ。ものごとを一般化することによって世界の人間達が使うことができる。

そんなことを知床観光遊覧船沈没事故の報道をみていて考えた。フィリピンにいると日本の報道もバラエティー番組かと思われる。というのも小さな現象に一喜一憂するという報道姿勢に科学的根拠はない。犠牲者はみつかりませんでしたなんていってるけど、当たり前だろ。船が沈むときに全員2階の屋外甲板に避難し、そのまま海に投げ出されてロシアまで漂流するということは、このブログでも随分前に書いた。誰がみてもわかることに余計な配慮をする報道番組。配慮ではなく科学の知見で語るべきだろう。

現代日本の生活文化に必要なのは、科学的知見で物事の全体像をつかまえようとする考え方だ。

コメント
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