月初めになると青森のあいつからショートメールがくる、というか来ていた。
リュウ君「お茶しようよ!」
そんなわけでインポの治療にやってきたリュウ君とナンタルのカフェだ。
「相変わらずラブラブでいいね」
リュウ君「神との契約みたいで、それが彼女たちの幸福感だろね」
「よく続くよね」
リュウ君「だって彼女が別れない限り一生に一人の男しか愛さないよ。だって処女で嫁にきたもん」
「日本じゃあり得ない。農本社会から発達したから貞操観念は日本の女達にはないのだよ」
リュウ君「彼女たちは、恋は結婚、そして出産だもん」
「まあ、そのほうがまともかぁー」
そう思ってツカモッチャン家の子供達の顔を思いでしていた。そうか幸せラインをまっすぐはしってゆくんだ。
リュウ君「僕の誕生日に何をプレゼントしてくれるのといったら、私は貧乏だから貴方を愛することしかプレゼントできない、というわけさ」
「それって殺し文句だよね」
リュウ君「それで処女だったもん。男は感激して女のために尽くすさ」
「それでインポの治療に毎月マメに通うわけ」
リュウ君「だって毎晩だよ。それをしないと寂しいと泣くんだもん。それに最近子供達のためにアパートをつくれというのだよ。私のように水も飲めなかった貧乏な経験は、子供達にはさせたくないというわけさ」
「給料というのをアテにしていないんだ」
リュウ君「それは政府の役人とか高給取りの場合だよ。平民は首にされればすぐ貧乏だもん」
「身につまされる話だよね。つまり目先の給料に一喜一憂しても本質は違うところにあるという論理かな」
リュウ君「木をみて森を見ず、という言葉があるじゃん。つまり日本人は給料だとか、給料の高い会社だとかに関心がゆくじゃん。フィリピンの彼女達からみれは、それは本質ではないというわけだ」
「所詮、雇われ人では首にされたらお終いだからね」
リュウ君の話も考えさせられるところがある。
「そうなると高校で初体験をして、その後は男の十人切りをして、ようやく高給取りと出会ってゴールインし高層マンションに住んで子供を一人もうけ、仮面夫婦、仮面家庭で暮らすという日本のライフスタイルとは違うよね」
リュウ君「日本の男と女は仮面で暮らす。その典型が京都の祇園じゃないかなぁー、すべて仮面と建前で押し通してゆくという感じかな。不都合なことは言わないスタイル。隠すというのが美徳とする世界じゃないかなぁー」
「木を見て森を見ずではなく、あえて森は見ない事にして本質には触れないとする建前社会だ」
・・・
リュウ君との話は続く。