Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ドローイング612. 小説:小樽の翆536.比較文化論

2022年06月11日 | Sensual novel

 

 青森のリュウ君の話の続き

リュウ君「フィリピンじゃ嫁にゆくときはみんな処女だという話は以前にしたよね。日本だったら処女で嫁にゆくなんて話は少ないんだろうね」

「そんなのは邪魔だというので、高校ぐらいの時大方は初体験を済ましているから、結婚するときは処女です!、なんて嘘こいて一緒に暮らし始めるわけ。だから仮面夫婦のスタートさ。ゴーギャンの処女喪失なんて日本ではあり得ないよ」

リュウ君「日本では嘘がまかり通るんだ!」

「男と女も、社会も、嘘に仮面だよ。何故かって!?。うーーん、神という概念が日本人の意識にはないのだよ」

リュウ君「フィリピンには歴然とある。」

そういってリュウ君と奥さんの過去チャットの一部を見せてくれた。

『神があたなを私にくれたので、私は神に感謝します・・・。主は私を無視しませんでした』

『神は私に賢明で寛大で思いやりある伴侶をくれました』

『主が私達に長寿を与え、そして私達がこの世界で歩き始めた事を、永遠に続ける息子を与えてくださいました』

・・・

「神という概念で一本筋が通っているよね。たけど日本人は意識の中に宗教がなく、精々生活習慣の中に初詣や七五三ぐらいはある。日本の生活で宗教と関わるといえば結婚式と葬式が主かなぁ。だからその間の伴侶とすごす時間を与えてくれた事に感謝するという概念自体が存在しない。精々神道の自然崇拝だから、自然に感謝ぐらいはするかな

リュウ君「じゃあ神道で行くか仏教で行くかの選択肢!。日常は、初詣があり七五三参りがあり、葬式はお寺だったりして神仏混合だよね」

「僕の先輩に彫刻家がいて『俺の実家は浄土宗なんだけど、真言宗や日蓮宗のお坊さんの彫刻もつくったし、新興宗教の像もマリア様もつくった!』と豪語していた。だから多神教かなぁー」

リュウ君「そうなると、伴侶も多神教なんだ!」

「まあ若気の至りで男の十人切りをした女が恋愛もどきに夢中になったり、男だって結婚前に筆下ろし!、という言葉があるぐらいだから、宗教が男と女の中に介在することは少ないよね。むしろ色事という言葉があるから、恋愛という概念自体がない。つまり農本主義なんだよ。五穀豊穣子孫繁栄だから、産めよ!、増やせよ!、増えれば農作物を育てる人出も増えるから、穀物も沢山採れるという発想かなぁー。だから民族習慣は乱交世界だよ。誰の子供でもいいからつくった方が勝ちというわけだ」

リュウ君「そういえば日本の建築って外壁に神話や神様を配することがないよね」

「近世は皆無だし、明治建築でも、外壁に神話や神様を配した建築はないよねぇー」

リュウ君「建築は神が与えたものという概念だよ。だから最後は神に返すんだよ。だからつまんないものはつくらない。イエスキリストの家は大工だったから、建築とキリスト教徒のつながりは深いよ」

「そうか、それで建築をやっているリュウ君とフィリピーナの奥さんとは相性がよいのか・・・。納得」

リュウ君と話していて、あっ、これは比較文化論だと思った。

遠くに見える石狩湾にも夕方の赤みが差してきた。

リュウ君「今、青森も田んぼが綺麗だし。今度遊びサこながし。上さんどちょーはいするかきゃかきやさ」

そういってリュウ君は、いつもの苫小牧からの夜行フェリーで青森へ帰るべくナンタルの駅に向かった。

・・・・

小樽も、初夏の薄暮が綺麗だ。

コメント
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