





西麻布のプロデュース企業で仕事をしていたから、通勤は地下鉄日比谷線の六本木駅で乗り降りしていた。六本木交差点は、この界隈のシンボルみたいなところだから、人通りが絶えなかった。そんな交差点を1本裏にはいると、都市の風景が突然変わるというのも六本木の特徴だった。
といって新宿歌舞伎町のような裏の猥雑な世界があるわけではない。そこには、大使館風の廃墟がロアビルの前に見え隠れしていたし、六本木交差点のビル群の1枚裏はお墓だった。それにこの交差点は台地の一番高いところにあるから、裏にゆくとパリの裏町のような階段が続くというのも面白かった。
仕事関係でゆかされた金魚というオカマエンターテイメントもこのお墓の前の古いビルだった。立地からすればさっすがオカマの世界かと思われるモノがあったし、古いビル内を劇場に仕立てなおし、大がかりな舞台装置が設えられていたのには感激した。そしてなによりもテンポの速いミュージカルが大変面白く、その後はとバスツァーになるほどの人気を博し、そして今は存在しない。
1997年、そんな六本木交差点の裏側を徘徊すると、表通りから全く想像できないタウンスープがいくつもあった。そんな裏の少し異質な空間から表通りに出ると東洋英和の女子高生か。それでようやくアマンドがある交差点に戻れたわけである。今は随分変わってしまっただろうと思われる。
ミノルタCLEやライツM4-Pにエルマリート28mmをつけて徘徊していた頃の画像。20世紀最後の六本木の姿を少しだけ記録していた。