トップ画像は筑波研究学園都市(現在のつくば市)にたつアメリカの世界的建築家マイケル・グレイブスのデザインによるオフィスビルである。なんでこんな田舎にグレイブスのデザインが・・・。そんなことはどうでもいいじゃないかとする時代だった。
私は40代半ばでキャリアアップだ!、というので都市開発プロデュースの仕事場を退職し、筑波大学の研究室に通い博士論文の執筆にいそしんでいた。
調度クラシックカメラの関心がぐつぐつと煮えたぎっていた頃、大きなネガサイズの機材が欲しいな。銀座の三共カメラで3万円代のローライフレックスを調達した。研究生の身分ではプラナー付きのローライは高いので、西ドイツ・ツァイスオプトンのレンズがついた機材だった。
同じくして博士号をめざすU君が呟いた「ライカが・・・」という危ないセリフは、クラシックカメラに関心を持ち出した頃の私の心を大いに刺激した。だからライツ・エルマリート28mmやM4-Pのボディを、ニーヨークのウッドゥンカメラなどからインターネットで注文して取り寄せた。もちろん価格は国内の1/2位だったのである。
私は2年間で所期目的の博士号をゲットし名古屋の大学に赴任した。クラシックカメラの関心を引きずりながら。そして「ライツが・・・」とつぶやいていたU君は、今や筑波大学世界遺産専攻のオーソリティーである。キャリアアップ時代の記憶である。
(茨城県新治郡桜村1995〜1997年)。筑波研究学園都市の周辺は、茨城県の典型的な農家が広大に広がっていた。だからローライフレックスをかついで日々自転車で集落を走り回っていた。全く都市化されていない農家の風景が延々と続いていたのである。今思うと、こんな被写体に溢れたところを、もっと自転車で遠出したかったと思うのが唯一の後悔である。
そのときまで都市開発の仕事で1日中丸の内で打合せしていた・・、なんていう日々である。それが突然この田舎の風景に遭遇し最初は躊躇したが、後で考えるとなんと素晴らしい時間をくれたのだと神に感謝した。
だから今でもローライフレックス・プラナー付きが欲しいと思うことがある。これで筑波の田舎を撮り歩きたいと思う。これはまずい!、カメラウィルスに感染されつつある。
ローライフレックスの名手は世界でも数多く、例えばアメリカのヴィヴィアン・マイヤーは、生涯家政婦をしながらローライフレックスを手にしてニューヨークを撮り歩いていた。生涯にたった1台の機材、ローライフレックスは、人生に一生付きあって記録やクリエイションの足跡を着実に残してくれる希有な機材でしょう。