ゆいレールを美栄橋で降り海に向かえばほどなく那覇港にゆきあたる。港の一角に木々のある土塁風が見える。こんなところに土塁の城の記録はない。中世琉球の三重グスクは国場川だから場所が違う。地図で見てもわからない。よくみると現代の護岸だった。
海岸沿いを北進すると、ほどなく泊港だ。離島に向かうフェリーターミナルだ。フェリーといってもトレーラーを牽引するトラックまで乗る。物流経路なのだろう。
泊港は、整備されているので特段撮影する被写体はない。そのまま横切り北進すると外人墓地に出会う。以下に那覇市観光資源データベース(注)から引用しよう。
「文化財(市指定史跡)史跡指定年月日;昭和62年8月10日
泊港北岸近くに位置する。墓地入り口より右手奥の方が古い外国人墓(俗称ウランダ墓)で、中国人、アメリカ人をはじめ、6ヶ国の計22名が葬られている。墓地の周囲は緑に囲まれ明るく、この墓地で最も古いのは1718年に埋葬された中国人である。長い航海で病死したイギリス人水兵や、ペリー提督の船に同乗していた水兵、カトリック宣教師マシュー・アドネ神父も埋葬されている。外国人墓地は18世紀以後の琉球と諸外国との交流を知る史跡として重要なスポットである。」
泊港北岸近くに位置する。墓地入り口より右手奥の方が古い外国人墓(俗称ウランダ墓)で、中国人、アメリカ人をはじめ、6ヶ国の計22名が葬られている。墓地の周囲は緑に囲まれ明るく、この墓地で最も古いのは1718年に埋葬された中国人である。長い航海で病死したイギリス人水兵や、ペリー提督の船に同乗していた水兵、カトリック宣教師マシュー・アドネ神父も埋葬されている。外国人墓地は18世紀以後の琉球と諸外国との交流を知る史跡として重要なスポットである。」
トラックが行き交う騒音の中の外人墓地というのも意外だが、あとから物流機能が整備されたわけだ。
さらに北上を続ければ、漁船の船だまりがある。さらに単調な騒音街道をすすむとコンテナヤードがある。コンテナの色が青い空に映えている。ここから延々と退屈な道を北上し曙町を目指した。
実はダイビングで慶良間諸島に行くときは、北港からボートが出ることが多い。だからいつも車から目にしていた光景だ。そんな道を少し歩いてみた。
注)https://www.naha-contentsdb.jp/spot/696
定食屋を目印にして、那覇港湾地区を徘徊する。
曙町の定食屋で漁師丼。都会人は漁師という言葉に弱い。ワイルドな飯というイメージがあるからだ。だが実際は、わざわざ食べに来るほどのものではなかった。魚フライ定食にしておけばよかったか・・・。この店のメニューの1つにイカスミ汁丼がある。歯が真っ黒になるのもやだなとおもって敬遠したんだった。烏賊と豚肉と大根だって・・。「海の恵み・みなとまち店」
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