この原稿を書いているのが6月下旬の月曜日。頭の悪いメディアは鬱陶しい梅雨と紋切り型のアナウンスで聴視者の共感を得ようとしている。しかし最近の6月は、毎日雨が降り続くわけでもなく気温も夏前だから涼しく、窓を開放すれば風が通り抜けるから、夜でもエアコン不用で実は大変すごしやすい季節だ。そんな気候のよさからジューンブライトという言葉もある。特に京都は、曇り空であるこそ夏姿で大変しのぎやすい時期だ。
こんな時は、カフェテラスでモーニングをしたい。屋外で食事をするおいしさは日本人にも理解できるだろう。だが近所にカフェが皆無。唯一遠くのコンビニへゆくと、くたびれた椅子とテーブルがあり屋外で食べられるのはここしかない。私は、サンドイッチと熱い珈琲でカフェもどき・モーニングをしていた。
道路の使用許可さえ出せば日本でも簡単にカフェテラスは出店できる。縁日の時は屋台が出ているではないか。要は建築を敷地一杯に建て、京都市内は道が狭いからスペースがない。いや新しい建築は十分なフロントスペースを設けているじゃないか。それでもカフェテラスにしない頑固な日本人の頭の悪さだけが目立つ。
朝は、お家で卵かけご飯と味噌汁だと頑固にこだわっている。それでくたびれた空気を漂わせながら出勤してゆく姿は、もう50年以上変わらない。
「カフェ!?、珈琲ショップが朝から開いてますよ!」と人は言う。そうではなくて私は外でモーニングをしたいのだ。COVID-19で気がついたでしょう。空調機がウイルスを媒介してばらまくのだから室内環境はたまったものではない。朝ぐらいはフレッシュエアのなかで食事をしたい。
もちろん日本にもカフェテラスはある。だが落ち着かない設えであり空間の読み方が全く理解されていない。空間には、落ち着く場所とそうでないところがあり、空間の読みが必要不可欠なのだ。
日本たばこ産業とファミリーマードがタッグを組めば、容易に実現できるけどな。そうカフェテラスは喫煙席なのである。しょぼい喫煙コーナーを提供して企業のイメージダウンをさせるよりは、はるかに優れた方法である。
そんなカフェテラスの必要性を私は、何十年も研究報告書や著作物に書いてきた。それでもカフェテラスができないのは、日本人の感性と文化の問題だと思われる。私はカフェテラスに座り、街の風景を見ながらスマホでチャットをしながらモーニングをしたいわけ。コンビニの数だけカフェテラスをつくりましょう、というのが私の提案ですけど・・・。
そんなわけで京都市内にはカフェテラスはありませんが、川床ならあります。これなら立派に屋外。だけどコンビニにゆくように気軽にゆくというわけにはゆきませんが・・・。
画像はパリ、撮影者:ジョッキー内田