フィリピンのNIKKAのアパートに初めて行ったときに、全ての環境が違うから緊張するだろうとする見識は、日本人の考え方だ。
私は、翌日隣家のテラスの前を通ったら、呼び止められて、朝から酒をいただいていた。それでテラスの主がルーイ、それに友人のマルコスと名前を覚えてしまった。初対面の距離の近さを感じていた。なんだ酒飲みというのが顔に出ていたか。というよりもPhilippines人はフレンドリーなのである。
他方で日本人ほど無愛想な人種はいないというのが私の経験である。特に京都人は、相手の了解のなかにはいらないと親しく会話をしないという悪しき風習がある。京都人が優しいのは商売の場面だけであり、もうかるならば愛想はただだから沢山振りまくわけだ。
今、海外との往来が容易になった。だから外国人達が盛んに地球上を動いている。そして異文化交流の時代になってきた。そこではフランス人にイスラムの彼女といった具合に明らかに国籍が違うカップル達の姿を数多く見てきた。
そんななかで乗り遅れているのが日本人。抜け出したいけどジッと我慢の人種。それを作家安部公房は「砂の女」で表現した。砂の中の家にいるのは永遠に自力で這い上がれない日本人を暗喩している。
個人的にいつも疑問に思われるのが、那覇空港から2番目に近い外国フィリピンへの直行便がないことだ。中国東海岸の諸都市を少しは網羅しているのに、何故那覇から2時間でゆけるフィリピン直行便をすっとばすのだ。それで沖縄県は那覇空港をHUB空港と位置づけている。そこに沖縄県人の国際感覚のなさと無知がある。HUBなら少なくともアジア諸都市、オーストラリアや欧米迄網羅するのが基本だし、トルコとつながればヨーロッパ全土とつながる。そんなHUBは今すべて中国東海岸の空港、上海、広州、台湾に集約されている。つまり中国に先んじられている。
沖縄県とフィリピンとは地政学的に類似性が高い。であればフィリピン、台湾、沖縄県で、EUならぬAUをつくればよいではないか。人流と物流の流動を簡素化し自由で開かれた3国間の往来を促進させるべきだろう。
もう一つ沖縄県人の無知を表す言葉に「本土並みを目指す」があった。それは日本本土が理想的な状態である場合の過去の話であって、今の日本本土には手本とする規範がない。目指すならばアジアやヨーロッパ並とかアメリカ並を掲げるべきだろう。言うことと実行することが乖離しているのも沖縄県人である。
このように私は沖縄県に手厳しいのは、13世紀中世琉球の時代に、日本、韓国、中国(当時の明)、フィリピン、ベトナム、タイなどのアジア諸国と盛んな交易をし、当時の日本よりもはるかに主体的で国際的な国家が琉球だったからだ。そうした歴史事実を踏まえれば、今の沖縄県はあまりにもふがいない。補助金に頼る日本本土の犬ですか?。
フィリピン・ブラカン(2022年5月)
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