知らない人間達にレンズを向けて、どこまで近寄れるか?。
それは自分の知識と意識の戦いである。そんなに接近したら悪いじゃん、嫌らしい人間に見られて警察でも呼ばれるかな、第一知らない人を撮っていいの?。そんなことを考えていたら撮れない。
街の時間の流れを記録するフィールドワーカーだと言い張れるアイデンティティがこちらには必要になる。それが支えになって堂々と撮る。文句を言われたら弁明すれば良い。撮っちまえば勝ちなんだ。そうして撮ってみたら、その時代の空気がある。平和な国で人間が写真になるのは20代か、あるいは余程の年寄りだけである。だからこの時は若い世代にこだわっていたのだろう。
実際街を歩いていていて、撮った画像を見せてくださいと地味な女に言われたことがある。そういう人は少し前から私を観察していて信号待ちで止まった機会を捉えていっていいがかりをつけてくる。だから私も民家の写った画像をみせた。そしたら恐縮して「本でもだすんですか?」と話題を変えてくる。だから私は「こうした画像をあと10万枚ぐらい撮ったら本にするかもしれない」と返事した。それで終わりさ。
クリエイションをしない人達は現象をみて類推する。例えば本にするといったクリエイションには、素材を集めて発酵させ創作してゆく大変長い時間が必要だ。私の本だって研究者として大いに努力した20年以上の活動のキャリアがあって出版できたぐらいだから、それが税別2,500円で購入できる。努力もしないで物事を簡単に言わないで欲しいな。
クリエイションをしない人達には、そんな事情は全くわからないだろう。今、物事を簡単に考えて努力しない人達が世間には圧倒的に多くなり、そんな社会傾向が最近加速している。そんなに簡単に言うなら、おまえ自分でやってみろよ!、これが私の捨て台詞だ。
画像のクレジットをみたら、レチナⅢcだって。こんな距離計の曖昧な機材でよく撮った。それに人に近寄って撮影したときの背景のボケ方が素晴らしい。あとはペンタックスMEだってさ。どちらも今は私の手元にはない。
注)撮影機材の2枚の画像はWikpediaから引用した。
渋谷(1996年)
トップ画像.RetinaⅢc,Schneider-Kreuznach,Xenon50mm/F2.0
2,4.PentaxME,Supertakumar120mm/F2.8
3.5.6.RetinaⅢc,Schneider-Kreuznach,Xenon50mm/F2.0
トライX.