フィリピンは随分早い時期に渡航制限が解除された。関西空港では税関から用紙を渡され「この時期の渡航はお勧め出来ませんが、帰国時にはPCR検査証明書が必要です」と書かれてあった。
日本からフィリピンへゆくエアラインは、いつも深夜にマニラに着く。スマホに着いたとするチャットをいれてカフェにいたら、嫁と親族達が大挙してレンタカーでやってきた。もちろん3年前にあったオジさん夫婦もいたが、大多数は私の知らない子供達や親戚ばかりだ。途中のジョリビーで親族達と会食会だった。そのときの初めて会ったときの子供達の正直な表情が面白い。
「えっ、日本から来たのってこのオジさん!?」
「ぶふっ!、わらっちゃう!!」
「人違いじゃないの!!!」
・・・
これまでのフィールドワークで私の図々しい根性は形成されていたから、人間が始めて会うときはそんなものだろうと、こちらも平然としていた。
やがて三日もすれば、親族15人が食材や飲み物を携えてレジャープールで大懇親会だった。以後嫁のアパートには、いつも誰かがいるフィリピンの生活に戻っていった。そして河川がオーバーフローしたときは、川辺の子供達が嫁のアパートに避難してくるのがあたり前になった。それはそれで良い風景だと思って私は見ている。