時折フィルム機材を抱えた人間達をすり抜ける。外国人なら、どうせお前の国はフィルムしかないんだろう!、とタカをくくれるが、どうもそうではないらしい。
そのフィルムカメラが見直されている根拠をChatGPTに尋ねた。
GPT「フィルムカメラに対する興味が再燃する傾向があることは、一部の写真愛好者やアーティストは、アナログ写真の魅力や手作業のプロセスに魅了され、フィルムカメラを再評価しているという報告があります。」
それはどんな報告ですか?
GPT「報告があるという表現は誤りでした。」
おいおい!、おまえは報告書があるといったじゃん!。
ナンダよ。いい加減な奴だな。
またまた予想通りの回答だった。
お調子者のChatGPTである。
しかしフィルムによる画像は、ピントが合ったところはビリっとしていたり、背景が綺麗にボケていたり、粒子のある固有の画面だったりと、フィルムならではの画像であることは理解している。ただし私はそこまで努力する意志も必要性もない。
このブログでも、表現ツールの一つとして存在するということを、版画技法のアクアチントの話しを引き合いに出しながら書いた。
フィルム画像は被写体を選ぶんですね。フィルム画像の方がよい場合もある。このブログでも小樽のフィールドワークで雪の夜のフィルム画像を紹介した。だが最近そんな被写体が少なくなり、どちらかといえばアーティスティックな表現だろうなと想像しているが・・・。
トップ画像の機材は、左からキャノン6L1958年(ただしもらい物)、ホディ付属のレンズは、ライツ・ズマロン35mm/F3.5は1955年〜1963年に制作された。私は35,000円で銀座のスキヤカメラで調達した。最近これが復活、定価451,000円。オオッ!。それからキャノンの標準レンズはホディと一緒の物。ライツ・エルマー90mm/F4.0(今でも15,000円〜35,000円)それにローライフレックス(1950年頃)、35,000円で銀座三共カメラで調達。
2枚目の画像はキャノン6L,ライツ・ズマロン35mm/F3.5,トライX,東京江古田.