Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし175. 冬の京都!?

2009年12月16日 | Kyoto city
 昔からの観光プロモーションで、今でも使われている「冬の京都」というコピーがある。観光客が少なくなる冬に、凛と引き締まった至極寒い京都を歩くのも、面白いだろうという、いかにも東京人発想の企画である。
 私から言えば冬の京都で良いのは、雪が降った時、正月明けのえべっさんや節分の頃の催事が行われている時だけである。それら以外の冬日は、ひたすら寒いだけであり、庭園も樹木が枯れて美しいとは言えず、当然撮影する被写体は少なく、とても散策する気分にはなれない。
 最近は暖冬だから、京都も雪が降らない。残る見所は大きな催事だけとなる。これらについては、このブログでも随分書いてきたのでアーカイブ(注)を参照されたい。
 つまり冬の京都は、大きな催事の頃以外はお勧めできないので「冬の京都」というコピーは、話半分ぐらいに聞いておく方が正解である。
 寒いときは、家に籠もり暖かい鍋でもつついていた方が、お気楽だ。そんなことならば、全国どこにいても出来ることである。それに京都人も鍋をつつきに出かける。城崎温泉、福井や金沢へ蟹を食べに出かける。
 もっと良い避寒は「冬のグァム!」。京都に泊まるよりは安い時もあるグァムなどの夏の気候の所へ出かけることだろう。風邪が治るし、かかりにくくなるというメリットがある。「冬の京都」よりは、こちらのほうがよりウェルネスだといえる。
 そんなわけで、紅葉の時期が終わると、寒い退屈な冬が続くのである。このブログも10月21日から毎日書いてきたが、冬は時々お休みにしたいと思う。
 ところで、今日の画像もツァイスのマクロプラナーを使用した。カリツとした締まりと抜けの良い、このレンズらしい写り方だ。もうこれ1本で十分とでもいいたくなるようなレンズである。

注:京都暮らし12.2009年3月6日~京都暮らし15.3月9日、
Landscape19.2008年1月25日~Landscape27.2月8日

京都市・高台寺 2009年12月3日撮影
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf4,ISO200,カラーモードF2.
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京都暮らし174. 1日1寺程度!

2009年12月15日 | Kyoto city
 私は、仕事もあったので紅葉の徘徊散策は、1日1寺程度であった。こうした行程は、県外から紅葉を堪能しにやってくるビジターの場合にも当てはまる。というのも、そんなに人間の気力と体力が続かないというのがその理由だ。特に歳をとればなおさらである。
 紅葉のように季節の良い時に時間をかけてゆっくり1寺を徘徊すれば、すぐに半日ほどの時間が経ってしまい、陽の短い秋は夕方になる。それが古都の時間の流れである。
 そんな暢気なことをしていると、京都を全部回れないじゃないかとするビジターの意見もあるだろう。私に言わせれば、そんなに全部回ろうとする必要もないし、体力と気力が続かなくなったら、錦市場などに出かけて旨そうな食材でも物色するとか、或いは美食にはまるなど、気分転換をするほうが面白い。それで充実すれば、また来週もくればいいじゃないか、である。それに季節の良い時は、市内の旅館・ホテルが全て満室になるときもある。
 今は新幹線があるから、首都圏からならば容易に京都へ着く。往復しても、上質な日本旅館に泊まるよりは安い。それに、そんなに欲張っても、市内には二千の社寺がある上に、催事の数だって相当なものだ。それは、観光バスのように慌ただしく徘徊しても、回れる数ではない。
 雨上がりの庭園は、とても美しい。何回か訪れていれば、きっとそういうチャンスにも恵まれるだろう。それが京都日帰り散策のポイントだろうし、スローな楽しみ方だと私は思う。

京都市・高台寺 2009年12月3日撮影
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf4,ISO200,カラーモードF2.
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京都暮らし173. 絵を描くときのように

2009年12月14日 | Kyoto city

 私自身、昔デッサンを勉強したから、絵画を描く気分が少しはわかる。そんな絵画を描く時のように撮影するという瞬間はとても興味深い一時である。
 ただし絵画ならば、記憶や想像で描ける場合もあるが、撮影の場合は被写体が不可欠である。ここでは、雨上がりの盛りを過ぎた高台寺の庭をモチーフにした。多様な庭園の光景の中から、絵画を描くときのようなアングルを探し出すというのは、大変面白い瞬間である。
 そして絵画のときのように、優れた筆が必要になる。それが、マクロプラナーである。このレンズを持つと絵画を描く時の気分にさせてくれるところが、個人的には好きだ。背景をこれぐらいボカして、こんなアングルで構成してみようかといった具合に思考してゆく過程は、絵画にも似ていて大変面白い。
 実は、撮影者をそのような気分にさせてくれるレンズが大変少ない。どんな焦点距離でもOKだと言わんばかりのズームレンズではとても筆には思えないし、そんな無数の焦点があったのでは、私には使いこなせない。私には、100mmという一つの画角を切り取る良質の筆が1本あれば十分のように思われる。
 カールツァイス・マクロプラナーは、絵画やデッサンをしているときの気分にさせてくれる希有なレンズである。

京都市・高台寺 2009年12月3日撮影
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/120,絞りf4,ISO200,カラーモードF2.

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京都暮らし172. 勝手な解釈

2009年12月13日 | Kyoto city

 このブログでも、S5+ツァイスとGF-1+ライツやパナのパンケーキレンズとで撮影した画像をアップさせてきた。撮影モードは、何れも風景用に設定した。結果は、S5系の発色が良く、GF-1系は地味だということがわかった。
 ライツ・ライカレンズは、本来地味な発色である。そうした地味さの中に、得も言われぬ色を出してくれる。現在ライカ社と技術提携をしているパナソニックの色が、地味な発色を志向するというのも容易に理解できることだ。
 これに対してツァィスのレンズは、華麗である。そうした華麗さとS5のベルビアモードとは大変相性がよい。だからより華やかな色彩になる。
 どちらを選ぶかは、ユーザーの好みなのだが、個人的には、カールツァイスの華麗な色彩に心ひかれる。
 どちらのレンズも冬の厚い雲が覆うヨーロッパで誕生した点で共通している。被写体を見て、微かな光の手がかりから華麗さを導き出すか、渋さの局地を見いだすかは、レンズ設計者の感性なのであろう。
 二つの個性的なレンズ・ブランドを使用していて、そんな私の勝手な解釈が事実かどうかはわからないが、面白いと思うときである。

京都市・永観堂 2009年11月20日撮影
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/60,絞りf4,ISO1600,カラーモードF2.

2009年12月13日日曜日


 
 

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京都暮らし171. FujiS5の後継機を!

2009年12月12日 | Kyoto city

 今日は、撮影機材の話です。こういうテーマが、個人的には気楽なので。
 Fujiのホームページから、デジタル一眼レフボディのFinepixS5proがついに姿を消した。アップ期間は3年弱であったから、デジタル一眼レフの寿命としては比較的長いほうだ。そのことは後継機種の登場を示唆している。巷では一眼レフはやめてマイクロフォーサーズに参入するなど、噂は色々ある。
 どちらにしても、このFujiが開発したCCDを使った撮影素子は大変色彩が優れており、他のメーカーでは代替できないので、Fujiのボディを使わざるを得ない。だから来年初頭あたりの発表を待ちたい。
 Fujiの新ボディが、ニコンD300sをベースに開発したならば、スタイリングか良い上に使い勝手が変わらないので歓迎したい。またD700をベースにしたならば、フルサイズとなるので、ニッコールレンズがフルに使える上に、ファインダーが大きく見やすくなる。それはツァイスを使う上では便利だ。或いは一眼レフをやめて、マイクロフォーサーズだったら、これが一番がっかりさせられる展開だが、しょうがないから使うだろう。ニコンのレンズの使い勝手がもの凄く悪くなるので、我慢してD700の中古でも物色するか。どんな場合でも、現在のS5のボディは大切に使用するのが前提だ。
 使い捨てのデジタル一眼レフの世界で、長く大切に使えるというのは希な現象だ。Fujiは、S3が出された数年以上前から色彩、画素数、そしてライブビュー付と、現在のデジタル一眼レフの仕様をいち早く備えていた。そしてフィルムメーカーだから、色彩の基準となるコンセプトがリバーサルフィルムに即してというのも明確であり、最も評価できる点だ。
 デジタル一眼レフをいち早く完成度の高い仕様にしたのが、コダックのDCS14とFujiであり、どちらもフィルムメーカーである点が共通している。デジタル時代では、フィルム時代で形成された色彩に対する知見が必要なのであろう。
 だから、いまだにニコンのナノクリスタルコート・レンズは変な色を出しますね。一体何を基準にして色彩を考えているのか、基準となるボディ側のコンセプトが全く解らないからでしょう(しいて言えば色彩輝度計とか、あるいは色彩色差計などの測定器志向発色か!)。
 そんなわけで、今日はFujiの後継機に対するラブコールです。FujiのEXR仕様の撮影素子を用いた新ボディでベルビアモードに設定して、ニコンのナノクリスタルコート・レンズを使えば、風景等では、ぬけるような色彩が期待できます。それはワクワクするぐらいに楽しみな事ですが。

京都市・嵯峨野 2009年11月28日撮影
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf8,ISO100,カラーモードF2.

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京都暮らし170. 小休止2

2009年12月11日 | Kyoto city
 四条河原町の交差点から寺町側を上がり、最初の横町を入ると、飲み屋にびったりと挟まれて静かにあるのが「喫茶築地」である。
 スイングドアをぬけると、クラシック音楽がかかり、アンティークな家具でうめられた空間がある。七十数年ほど前から変わらない姿だそうだから、私は昭和初期の風景を見ていることになる。ギシギシとする床も、古典的な響きに思われる。定番のウィンナーコーヒーを飲みながら、現代のあわただしい時間を忘れることができる。
 そんなクラシックな喫茶店が、最近では随分少なくなってきた。昔、時折本屋徘徊の折りに立ち寄った東京神保町の裏のクラシックな喫茶店「さぼうる」を思い出していた。ここはそれよりも古いように思われる。
 京都には、まだ街の中にクラシックな喫茶店が、いくつかある。今でも、それだけ利用されているようだ。それに容易に模様替えをしないところが、いかにも京都らしいと思われる。
 時間の外延的な概念には、変わる事と、変わらないことの二つしかない。後者の姿で生き続けているのが、京都の喫茶店である。


京都市・中区 2009年12月9日撮影
GF-1,G f1.7/20mm,ASPH.
シャッター1/30,絞りf1.7,-1/3補正,ISO640.フィルムモード:ダイナミック.
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京都暮らし169. エコのエゴイズム!

2009年12月10日 | Kyoto city
 Macと併用しながらWin系PCを研究室で使うようになってから、ソフトウェアの管理がややこしくなってきた。難儀なのは、大学の独立行政法人化に伴って削減された研究費の中から、Win系用に新たにソフトを買い足さなければならない点だ。
 最も使われるadobeCSやofficeは、Win用が必要になるし、3DソフトのStrataはWin版がないので、Win専用のAutocadで代用するか、ShadeやStudioMaxを使うほかない、といった具合だ。
 ところでAutoCadの学生が申請するタイプは、期間が5年間限定利用なので意外に使いやすい。学部生は1年足らずで研究室を去って行くので、破格的に安い(15,000円)このフルスペック仕様のソフトは、研究室の実態と合っているようだ。5年も経てば次のバージョンだろうし、という思いがこちら側にある。
 MacとWinの両方で読めるプログラムで書かれてある、ランドスケープソフト「Vue」も便利だ。PCが異なってもソフトが同じであれば、教え方も一緒なので授業が成立する。
 ハードウェアで言えば、A1プロッターやネットワークプリンターが、随分安くなった。先日事務から、新しく入れるプリンターの3年のメンテナンス契約をせよと行ってきたが、壊れたら買い換えるので、高いメンテナンス契約は不用と返事をした。学生にとっては使い方を知るのも教育であり、当然荒っぽい使い方なので、プリンター類は3年もてば良いだろう。機器が壊れたらメンテナンス契約も切れていたのでは全く意味がない。
 この10年間でPC機器類を管理する意識が変わってきた。それは、不具合があればメンテナンス契約をするという従来の発想から、使い捨て発想への変化である。それだけ、ハードウェアは、コストが下がって来たのである。予算のない中で使い捨てが一番安上がりで、教える側の負担が少ないのである。だから従来発想に固執する納品メーカーも、少しは頭を使えよといいたくなる。
 もちろん今のエコの視点から見れば、使い捨て発想は勧められないのだが、教員の人数が増えない以上、PC機器類の管理といった雑事を減らしてゆくという方法をとらざるを得ないのが現実である。
 今のエコという視点は、従来のエネルギー効率の悪いプロダクトを捨て、新たな低エネルギーのプロダクトに取り替えてこそ成立する考え方だから、基本的には産業全体のエントロピーが増大するのだろう。エコロジーなプロダクトを生産するために、CO2がさらに増加するのであるから、なんともインチキくさい考え方だ。
 例えば省エネ家電が増えたからと言って、これまで我が家の電気代が安くなったというためしはない。それと同じで、私も適宜利用させてもらっている考え方だが、エコ社会に切り替わるまでは、エコのエゴイズムだろうね。

京都市・永観堂 2009年11月18日撮影
GF-1,G f1.7/20mm,ASPH.
シャッター1/1300,絞りf8,ISO400.フィルムモード:ダイナミック.
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京都暮らし168. スペック・バブルの崩壊?

2009年12月09日 | Kyoto city
 数年前、私の研究室で流体力学計算用のWin系PCを2台導入した。ソフトウェアがついて市販価格100万はするが、アカデミック・プライスでも25万以上していた。それでも高いよ。
 最近Win系の学生達がやってきたので、ほな空いているから、研究室に余っているソフトウェアをインストールしてWin系PC使い給え、となった。ところが、Win系PCは、シャットダウンできない。本来1週間計算し続けても、ダウンしないハードウェア仕様なので、シャットダウンするなと言うことらしい。
 しゃあないので、Winの専門家にデスクトップを再構築してもらい、関連するソフトウェアを再度インストールして、ようやく普通のWin系PCとして使えるようになった。
 これにあわせて、市販の量販店で8万円のWin系PCを購入した。OSといいダブルコアであることといい、メモリーといい、ハードの仕様が、それらとほぼ同じなのである。
 つまり数年の差でアカデミック版とでは17万、市販価格とでは90万程の差があったことになる。随分産業界は儲かったと言わざるを得ない。
 PCの仕様は、日ましに向上してくるから研究は、精々2年以内でやれということだろう。社会は、そんな産業本意の情報機器に資金を使いすぎて、今では金穴不況と廃棄PCの山かと想像している。情報バブルというよりは、PCスペックのバブル崩壊だろうか。

京都市・永観堂 2009年11月18日撮影
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/285,絞りf4,ISO100,カラーモードF2.
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京都暮らし167. クロームOS

2009年12月08日 | Kyoto city
 昨日は、研究室のWindows PCで私のブログを回覧していた。というのも今年の3月15日から50回ほどコンピュータ・グラフィックスの制作過程を紹介しており、ここでは3種類のソフトウェアを組み合わせた制作過程を書いている。そんな攻略本は巷にはないから、後々の実習の授業で参考になる。
 さてWindowsで見たこのブログ画面なのだが、フォントが異常に細く情けなかった。私が使用しているMacでは、ヒラギノのゴシック体を使用して適切に編集おり、編集通りにMacのPC画面に表示されている。
 そこで、実験的に今日は、本文にMS Pゴシック体を使用してみた。後でWinで見てみようという魂胆だ。それにしても、私のMacの編集画面ではMS Pゴシック体は、文字が詰まっており、アルフヘットの小文字が小さすぎて、はっきり言えば大変読みにくい。
 私がPCを使いはじめたとき、この世にはMacしかなかったので、当然今でも私はMacである。しかし最近頑固にこだわっているわけにもゆかず、リース機器の更新ではWin系を使いたい学生達に配慮した。といって導入する機器は、両方が使えるMacなのであるが。
 そんなことをしていたら米グーグル社が、開発中の基本ソフト「クロームOS」を発表した。ネットブックに搭載するそうだ。ソフトはインターネット上からすべてダウンロートするという。そうなるとWinとかMacのOSとは関係ないわけだが、米グーグルとMacとは、経営的に連携しているので・・・・、といったことを考えると、iPhonやiTouchの進化形かとおもったりもする。Windows終焉の時かなどと勝手な想像をし、明日からはMacのフォントに戻そうと思う。

京都市・永観堂 2009年11月18日撮影
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
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京都暮らし166. 閑!

2009年12月07日 | Kyoto city
 昨日は、北風も吹き冬でした。月曜からは名古屋の大学に行くのでまとめて執筆だす。京都の紅葉も大方終わり、原稿も提出し、さてどうしようかという気分の時なので閑話。といってたいした話題もないので見出は、話の文字を除いて「閑!」。
 仕事であれ遊びであれ、何かに没頭しているときは幸せな時間である。ある時没頭の熱から醒めると、さてどうしようかという気分になる。そんなときは、大体次の没頭対象を、探すのだろう。そうして人間の時間が過ぎてゆく。師走の季節というのも、個人的にはそんな隙間のような時間に思われる。そんなときは巷にでて、社会的な年末没頭催事に、冷ややかな気分で身をひたすのも面白いだろう。
 いつも思うが、冬の始まりのような気候の中で、年末の慌ただしい空気を感じる事は出来るが、撮影するのは難しい。それは、ある種意味的な、つまり個人の意識の持ち方によって感じられる師走の空気であって、必ずしも被写体として存在しているわけではないようだ。
 書を捨てよ!街にでよ!!、というのは寺山修司の書名だったが、いまならば、機材を捨てよ!街にでよ!!といった気分だ。といってポケットには、GF-1が入っているが。大学に行けば、ほっておいても、次から次へと宿題をつくってくれるので、こうした閑!の気分も、日曜日ぐらいなのかもしれない。
 昨日の休日は、三島亭のお肉でしゃぶしゃぶだった。少し痛めた体を養っていた。

京都市、南座まねき上げ
GF-1,G f1.7/20mm,ASPH.
シャッター1/1000,絞りf1.8,ISO100.-1/3補正,フィルムモード:ダイナミック.

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京都暮らし165. 紅葉回想・時間のデザイン

2009年12月06日 | Kyoto city
 一昨日の長楽寺の画像をアップさせた。二日程雨が続いていたので、もう紅葉も随分落ちたことだろう。だから回想編と言ったほうがよいと思われる。
 今年は、少し意欲的に紅葉を徘徊した。美しい風景に触れてみたいとする、ランドスケープデザインの立場からの好奇心があった。徘徊先がすべて神社仏閣であったというのが、京都らしい。その神社仏閣に全国から、そして世界から人々がやってきた。私から見れば、宗教施設がこれほど集中して注目される季節というのも珍しい。
 というのも、デザインの立場で宗教施設をつくるという機会は大変少ないからだ。そう考えれば京都の紅葉徘徊は、不思議な現象だと思う時がある。そこには、私達のデザインとは異なり、長い時間の中で熟成されてつくられてきた風景がある。
 日本古来の庭園デザイン書といってよい「作庭記」以来の多様な技法が散りばめられた神社仏閣の庭園は、典型的な時間のデザインである。季節の変化に応じ樹種や周囲の風景の変化を意図ししてつくられてきた庭園である。つまり変化することを前提とするデザインといえる。それは変化することを嫌う現代建築デザインとは、全く異なる立場であろう。そんな風景を追いかけるために、カールツァイスのレンズを持って徘徊していた。
 いささか、まとめらしいことを書いて時間のデザイン探索徘徊の結論としておきたい。

京都市・長楽寺
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf2.8,ISO100,-1/3補正,カラーモードF2.
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京都暮らし164. 今の長楽寺

2009年12月05日 | Kyoto city
 昨日は、円山公園の奥にある長楽寺へ朝の散歩に出かけた。まだ紅葉は少し残っており、時折降る雨に濡れた風景は美しい。ここも狭い境内に急階段というアップダウンがある設えなので、ランドスケープデザイン的には、面白いところだ。日本庭園固有の狭さの魅力とでも言えよう。
 天気は、晴れ間と雨とが交互にやってくる、盆地特有の気候だ。一雨毎に紅葉は散ってゆくだろう。だから屋根や園路は落ち葉の絨毯になる。不安定な天気のために訪れる人は少なく、静かな境内だ。
 最近、専らS5+マクロプラナー100mmとGF-1+パンケーキレンズの単焦点レンズを持ち歩いて調査している。この組み合わせだと、特に不自由もなく撮影できる。今までのズームレンズはなんだったんだと思う。それにこんな狭い寺で、実質150mmにもなるレンズはどうなるかと思ったが、意外に使えるようだ。というかそれ位の距離でないと撮影できないアングルもあった。日本の庭園は、ミクロの眼というか、予想外に細かいところに秋の気配が漂う場合があるようだ。
 今年の秋の紅葉巡りも、この寺が最後だろう。南座では年末顔見世興行恒例の「まねき」が上がり、今年は坂東玉三郎の看板が真ん中にみられた。当然初日から満員御礼である。その前の和菓子老舗では、紅白の福玉が掲げられていた。舞妓さんが、おなじみのお茶屋さんや贔屓筋のところへ「おことうさんです」といって挨拶に来たときに、差し上げるものだ。 もう京都は、冬である。

京都市・長楽寺
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf2.8,ISO320,カラーモードF2.
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京都暮らし163. 今の高台寺

2009年12月04日 | Kyoto city
 昨日の雨の中を散歩がてら出かけた高台寺である。大分散っているようだが、それでもまだ紅葉は残っている。これ位の遅がけの時期でも、なかなか良い風景である。個人的には、高台寺の垢抜けたような明るい空間と、アップダウンがあるランドスケープは好きである。
 最近使用しているマニュアルレンズ、ツァイス・マクロプラナー100mmは、ピントの合う範囲が紙のようにシビアである。そこで今日はライブビュー機能を使ってピントを合わせて撮影したので、ようやくこのレンズの性能を活かすことができた。葉の葉脈まで写る位の大変線の細い優れた描写力である。
 今日は、試みにニコンのアングルファィンダーを装着した。撮影結果から言えば、アングルファィンダーは二倍までファンダー像を拡大できるが、ピントを合わせる精度が決して良いとは言えない。操作が面倒なことに加えて、あまり役に立たない。
 やはりデジタルは、デジタル画像で判断できるライブビュー機能の方が、それよりは、はるかに正確なピントが合わせられる。その点でデジタル一眼レフとしては、早くからライブビュー画像を搭載していたFujiのボディを使うことは正解である。この機能がないと、マクロプラナーのピントは合わせられないと言ってよいだろう。
 つまりS5の欠点は、デジタル一眼レフ開発初期に軽視された風潮の名残を持つ小さめのファインダーである。だから、大型ファィンダーを搭載したニコンD300sクラスをボディとし、リモデルした後継機のFujiS6の登場を切望しているのであるが、フジというメーカーは今時、時代錯誤的に暢気だ。

京都市・高台寺
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf4,ISO125,カラーモードF2.
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京都暮らし162. 今の真如堂

2009年12月03日 | Kyoto city
 昨日撮影した真如堂である。当然盛りを過ぎているが、紅葉は比較的多く、午後の柔らかい光の中で綺麗に見えるロケーションがあり、撮りやすいところである。真如堂の奥には、比叡山を借景とする小さな枯山水庭園「涅槃の庭」がある。
 生活習慣病克服のために毎日少しだけ散歩にでるが、毎日散歩しなければならないとなるとどこか拷問のようでもある。
 今日は真如堂から黒谷を抜けて東山三条まで歩いていった。それにマクロプラナーのテストだ。テストというのはレンズではなく、撮影者の習熟が目的である。なかなかシビアな被写界深度であり、紅葉というのは意外に難しい被写体だ。というのも枝葉のどれが前後なのかということを、画像で判断するのが意外に難しく、ピントを合わせそびれると泣けてくるピンボケの画像になる。
 因みにパナのGF-1はそつなくシャープな画像を提供してくれて好ましいが、いかんせんFujiS5との比較では、撮影モードを、ダイナミックそしてネイチャーと設定したが色が明らかに薄味だ。それは記憶色と比較しても地味なのである。だから常に-1位の露出補正を伴うことになる。
 それからいつも思うことだが、FujiS5のファインダーの能力が、もう少し高い方が良い。もちろんフォーカスエイドは機能するが、これがかなりアバウトなのだ。あとはライブビューを使う他ない。それにしても撮影後にパソコンのモニターで見ているとピントが合ってないというカットが幾つも出てくるのである。
 だから視野率100%の大型ファィンダーを搭載するニコンD300sのFujiバージョンを開発販売して欲しいと思うのである。カールツァイスのレンズは、カミソリのような切れ味を持っているので、D300sのファインダーが必要なのである。といって今はプロダクト機材がないのではしょうもないので、今度はS5に、アングルファィンダーをつけて撮ろうかと考えている。
 また今日も、生活習慣病克服の散歩に出歩くことになるか・・・。

京都市・真如堂
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/225,絞りf4,ISO100,カラーモードF2.
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京都暮らし161. 今の大覚寺

2009年12月02日 | Kyoto city
 画像の大覚寺は、今といっても先日の土曜日に撮影したものである。京都観光情報のWEBでは盛りと表示があり、今日あたりは紅葉の盛りを過ぎたぐらだろうか。
 大覚寺の紅葉は、湖畔の周囲に点在している位であまり多いわけではない。だが何よりも背後の山の紅葉を借景として湖畔から遠景観のある点が面白い。またこの時期の嵯峨野は、時折霧が低く立ちこめる時があり、そんな時は風情がある。落ち穂拾いを覚悟すれば、今週の京都も楽しめるのではと思われる。
 大覚寺は、テレビの歴史ドラマのロケに多用されているので、見慣れたお堂が伺える。何よりも境内は、舗装をしておらず、といってそんな必要もないので、時代劇のロケに使いやすいのだろう。
 近くの太秦には、東映と松竹の撮影所があり、今でも多くのTV番組や映画が制作されている。こうした撮影所というソフトを創り出すメカニズムを、古くから内包していたというのも京都の街の大きな特徴である。溝口健二、小津安二郎と名前を挙げれば、世界で評価された日本映画の多くは、京都でつくられてきた。最近では、山田洋次監督が立命館大学映画部の学生達を指揮して、太秦商店街で映画制作をしていた、という話も聞く。
 時代劇のみならず、例えばTVの土曜ワイド劇場にしばしば登場する現代の京都の街の風景も、見覚えのあるロケ地が幾つも登場している。あそこの寺院の脇とか、こちらのアパートとか、ここのお店といった具合に。こうした様々な撮影場面をみていると、番組経費削減もあり、大方は太秦の撮影所近辺、或いは京都市内かその周辺で撮影されたところが圧倒的に多いと思われる。
 だから映像産業の街京都なのである。TV、映画、CF、といった具合に、現代映像メディアの一角を昔から担ってきており、こうしたソフトウェア文化のクリエイションが京都の個性の一つである。京都は、昔からの実績を持った文化・クリエイション産業の街なのである。

京都市・大覚寺
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf8,ISO200,カラーモードF2.
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