こういう山が街に迫っている風景をみると、京都は盆地であることを痛感させられる。アップ画像は、真如堂の庭から鹿ヶ谷を撮影した。山の中腹に見えるのは円重寺だろうか、手前には安楽寺や霊鑑堂があるはずだ。右側にはダム女(ノートルダム高・中)がある。
昔の小学校の授業で、街の後ろに山が見える風景を書いた記憶があるが、京都の街はそうした原風景のイメージに近いと思う。
昔の住まいで、床の間を背にして主の席を設けるとする作法があった。壁を背にすることで、背後から襲われる心配も少ないとする古人の心理の反映なのだろう。今でも人間は、壁を背にすることで安心感が得られるという心理があり、あまり古代とは心理が変わらないように思われる。
アナロジーで類推すれば、街にも同様のことがいえる。背後に山があれば、侵略してくる敵に、後ろから不意打ちを食らわなくて済むというものだ。京都や鎌倉の街をみれば、山に囲まれたという立地が顕著に、それを物語るであろう。
こうした心理が、潜在的に無意識のうちに伝承されてきて、私達はなんとはなしに街の後ろに山を描くのかも知れないと類推する。
それに背後に山がないと、ランドスケープとしても単調になる。円通寺そして真如堂や天龍寺の山を借景とした庭園がつくられていることを思い起こせば、納得できるだろう。
背後に山があるとするるランドスケープデザインの手法、それは人間の心理の反映であると同時に、日本的原風景のDNAなのかも知れない。
京都市・真如堂枯山水庭園「涅槃の庭」,撮影日2009年12月2日.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf8,ISO200,カラーモードF2.
昔の小学校の授業で、街の後ろに山が見える風景を書いた記憶があるが、京都の街はそうした原風景のイメージに近いと思う。
昔の住まいで、床の間を背にして主の席を設けるとする作法があった。壁を背にすることで、背後から襲われる心配も少ないとする古人の心理の反映なのだろう。今でも人間は、壁を背にすることで安心感が得られるという心理があり、あまり古代とは心理が変わらないように思われる。
アナロジーで類推すれば、街にも同様のことがいえる。背後に山があれば、侵略してくる敵に、後ろから不意打ちを食らわなくて済むというものだ。京都や鎌倉の街をみれば、山に囲まれたという立地が顕著に、それを物語るであろう。
こうした心理が、潜在的に無意識のうちに伝承されてきて、私達はなんとはなしに街の後ろに山を描くのかも知れないと類推する。
それに背後に山がないと、ランドスケープとしても単調になる。円通寺そして真如堂や天龍寺の山を借景とした庭園がつくられていることを思い起こせば、納得できるだろう。
背後に山があるとするるランドスケープデザインの手法、それは人間の心理の反映であると同時に、日本的原風景のDNAなのかも知れない。
京都市・真如堂枯山水庭園「涅槃の庭」,撮影日2009年12月2日.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf8,ISO200,カラーモードF2.