Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

EOSな日139. 二十歳のオーラ

2018年01月16日 | Kyoto city

 1月14日の三十三間堂で開催された成人式である弓引き始めにでかけた。なにしろジャスト二十歳の女子だけで2千人は参加している催事なんて東京でも少ないだろう。でっ若いオーラで気力の充電をしようという魂胆なのだ。従って最初から方向違いの目的。まあ昼飯を食べに出かけるついでに立ち寄ったといったら穏便か。今回は、広角ズームだけでいいよな。

 それは正解であり会場へ出かけると、三脚、脚立禁止の看板、それに一方通行にされ自由に動けない。次第に京都の行事も観客が増えたためだろうか、撮影しにくい環境になりつつある。当然弓を射る姿なんて撮影できない。ああーっ、あれじゃ親御さんが可哀想だな、朝早くから着付けたり髪をゆいあげたりと走り回ったのに、肝心の凜々しい娘の姿がみられないのか。変わらないのは、履き物を間違えて履いていった女子がいることぐらいか。

 私は、そんな凜々しい二十歳の女達を随分撮影した。特に2010年1月18日から31日のブログでは、弓矢が手元を離れた瞬間を射止めた画像が続き、こちらも的中なのである。EOS40Dの連写モードをフルに使い、弓を射る場所から一番遠いところにたてた脚立に乗って400mmのレンズ(APSサイズだから600mm相当)で撮影した。もちろん好き放題に脚立を立てられたので、いろんなアングルから二十歳の姉ちゃん達や着物を飽きるほど撮影でき、たっぷりオーラをもらって充電をした。

 それに我が大学からも参加しており、当時芸術工学部の学生もいたので参加者達としっかり記念撮影に納まったこともある。今年は、名古屋市立大学からは男女5人の参加であった。

 今回は管理のガートが堅くて囲い込まれた集合場所に参加者があつめられ、管理者の爺達だけが二十歳のオーラを独り占めにしているなんてずるいではないか。だから容易に近寄れないし撮影できない。まあ実につまらなくなったことは確かだ。こちらは過去にさんざん撮影したので、今ではそんなことはどうでもよいさの気分なのだが。

 さて今回は、遅がけに出向いたので参加者番号は1400人代だった。だから会場には女子のオーラが少なくなりつつあり、いささか充電不足だぜよ。まあオーラのカス画像でもアップさせておこうか。

 

京都市東山区三十三間堂

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS400,焦点距離35mm,露出補正0,f/7.1,1/250

 

 

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番外編306. 真冬の十和田湖

2018年01月15日 | Aomori city

 夜半に京都市内にもお裾分けのように少し雪が降った。もちろん屋根に名残がみられる程度。雪がないと冷たいだけの空気がPM2.5とかインフルエンザのウィルスでも運んできているようで勘弁して欲しいのだが、雪が降るとそんなものは水分となって流れて行くようでもあり、開き直ったように街が静かにシンシンと冷えているのが心地よい。こちらは、せっせと暖房に努める。大学センター試験の受験生と監督教員は、ご苦労様なのですが。

 素晴らしいことに雪のため新幹線は5〜10分と遅れている。その程度ではまだ雪が足りない。美景にいたるには30分以上遅れるほどの雪が積もり翌日の朝晴れると霧が地面をはって綺麗だ。もちろん大半の乗客はブラインドを降ろして寝ている間に通り過ぎる美景だが、各駅停車こだま号に乗る乗客は、そのことをよく知っている。

 そして雪で米原で長らく停車すれば外のフレッシュエアをすいながら冬体験となる。隣のホームに後続のぞみ号が停まっているけどドアは開かないから、インフルエンザウィルスの詰まった箱の中で悶々としているわけだ。あれは健康的にやだな。だから私は東京へ行くときは、名古屋まで各駅停車をしてゆくひかり号でゆく。

 なんでも早くゆくなどという勤勉なサラリーマン根性はサッサと捨てるべきだろう。出張の時こそ退屈な日常業務から抜け出せるので大いに旅を楽しべきというのが昔からの私のポリシー。

 私は地域開発の仕事で豪雪地の青森市へでかけたときには、いろんな理屈をならべて雪国を楽しんだ。ときには、プレゼンの時間に間に合わないじゃないかという理由(実際は15分程度だったのだが)で、飛行機からいまはない583系寝台特急電車に乗って修学旅行帰りの高校生達と鉢合わせする幸運に恵まれたり、青森市内の雪道をあるきながらいつものママがいるスナックにでかけ朝まではしゃいでいたり、そうしていると馴染みになってママ達が車で浅虫温泉につれていってくれ、旅館から眺めた冬の青森湾をみながらの昼飯はとてもよい時間だった。そんな風にその土地の時間を楽しみながら日が暮れてから飛行機で東京へ戻ったこともしばしばある。

 ときには、ママ達が真冬の十和田湖につれていってもらい寒さの局地を体験した。青森県人の車の運転は手慣れていて上手だ。その十和田湖のデュープ画像があった。撮影したのは多分2000年頃だろう。当然この寒さ体感の後WEBにはでてこない青森県人しか行かない温泉にいったけど。ここは施設も完備されていて安くてよいところだったが名前は忘れた(笑)。そりゃ最高の保養であり出張よ。

 もちろん様々な青森県人が市内で地元料理をご馳走してくれたし、あるとき私も雪の中をホテル前にある古川市場の路地へでかけ、総菜屋から味噌汁やおにぎりやおかずを調達し、大粒の雪が降るその店の前の小さなテーブルで朝飯をたべたときなんざぁ、わが人生で一番旨い朝飯だった。

 もちろん雪の青森の街を撮影する(当然業務外)ために撮影機材は必須であり、出張の折にフッとみた青森市内の景色はとても魅力的だった。出張の時間こそ最大の息抜きであり撮影日よりなのである。だからって休みだから写真を撮るという意気込みで街を歩いたって撮れるわけではなく、日常の行動のついでにいいなと思った都市の風景を撮影するということこそが撮影の原則だということを忘れてはいけない。

 リニア新幹線ができると、そんな移動も大半がトンネルである。実にくだらない出張になりそうだ。我々はロボットではないのだから、せめて車窓の風景を楽しむぐらいの精神的余裕がビジネスには必要なのである。出張こそは精神的な息抜きなのである。そういう余裕がビジネスを成功させてきた。だからなんでも早ければよいというモノではない。価値観は一つではないのである。

 さて京都も、もっと飽きるぐらいに雪が降らないかなと思っている。雪道を晦庵河道屋の芳香炉を食べに行くなんざあとても心地よい演出なのだが、天気予報をみれば今週は春陽気の日もあり、冬の心地よい時間は望み薄だ。なにしろ京都の雪は降ってもすぐ溶けたいしたことないですから。

 さてブログを書いている場合ではなかった。今日は京都の成人式の行事、三十三間堂の弓引き始めにでかけよう。

 

青森県十和田湖

NikonF4,NikkorAF35-70mm/F2.8,Velvia

 

 

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EOSな日138. 風前の灯火

2018年01月14日 | field work

 一昨日の倉庫群(醤油屋)の建築を半田運河の対岸からみた。昔から醤油屋は亀形の亀甲(キッコウ)文様がすきだ。亀甲文様の中に富の文字が入っていると「キッコートミ」が商標であり社名となる。また亀甲文様の中に萬という文字をいれると「キッコーマン」だ。いまや世界167ヶ国に商標権を持つ我が国が誇る世界ブランドだ。

 ファッションではイタリアやフランスに負けるが、食の分野で我が国は結構世界ブランドを有している。味噌、煎餅、緑茶、海苔、それにカップヌードルなどは海外のスーパーでもみかける。

 さてそのキッコートミの建築は、今は使われていないので廃屋状態だ。それに建物も大分傷んでいるし構造も歪んでいるだろう。崩れ去るのは風前の灯火なのだが、再生できるのが先か、それとも台風などでつぶれさるのが先かという状態である。

 だがキッコートミの眼前の護岸はしっかり補修されている。本来はここに原料を船で運んできたから桟橋だったはずである。現在では醤油屋もないし流通も変わったので、都市防災の観点から護岸として整備されている。

 だがその整備は首をかしげる。というのもなんで古く美しい建築群の前に青い東屋(画面左側)なんかを新たにもうけたのだろうか。東屋にしては階高が高すぎるし第一視覚的に邪魔だよね。なければ背後の建築群が綺麗にみえるのに。それに街路樹も邪魔だからいらない。いらんものを付けた整備のようだ。それよりかは、むしろ電柱を地中化してほしいのだが。

 ということはキッコートミの建築群を重視していないということか。やがてはつぶれるか取り壊されるのかもしれない。だから背後の建築とは無関係に護岸整備や街路整備をおこなったとする見方も推察できる。だがやはりこの古い建築群は美しい。右端の民家なんかきっちりこれとデザインがあっている。

 ちなみに画面右側へ歩いて行くとミツカン酢の倉庫群が整備されて残されている。それはまあ美しいのだがどこか現代建築の意匠のようでもあり、個人的にはキッコートミの多彩な建築群の方が面白い。

 キッコートミは、風前の灯火かもしれないので記録しておこうというわけだ。

 

愛知県半田市

EOS1Ds Mark3,EF28-300mm/F3.5-5.6L IS USM

IOS400,焦点距離28mm,露出補正0,f/13,1/400

 

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EOSな日137.  寒い冬の悪あがき

2018年01月13日 | field work

 この冬一番といってもよい寒波、といって京都市内に雪は降りません。京都市内の気温、朝-3℃、昼4℃。道の側溝には氷が張っている。朝、寒くてクロワッサンに珈琲なんて気取っている場合ではない。こんなときは、ずばり朝ラーメンを食べたい。それも歩いて行ける範囲のお店で。

 朝から開いているラーメン屋を探すと京都駅近くの新福菜館と第一旭がある。だがこれらは遠いし、それに行列ができるので外で並んでいるときに身体が冷え切ってしまいラーメンごときでは暖まらない悪循環がある。大体人が並ぶラーメン屋は朝が遅いし、冬に外で待たされるなんていうのは御法度だ。たかだかラーメンごときでそうまでしたくない。ようは身体を早く温めたいのだ。

 結局昼飯には早く、早弁よりは遅い時間に近所のラーメン屋に駆け込み、ニンニクと唐辛子のタップリきいたラーメンにありついた。確かに身体は汗ばむほどに温まった。しかしお腹がもたれるな。寒い冬の悪あがきだったか。

 もう一つ冬の悪あがきがあった。気がつけばもう3日ほど室内の空気の入れ換え、つまり掃除をしていない。二酸化炭素が多くなると行動力を低下させるという話もあるが。従ってなかなかその行動に移れないまま、もんもんと時間が過ぎて行く。さらに暖房を効かせて午睡に励むか・・・。

 意を決して家の窓を全部開け、一斉掃除をした。そしたらフレッシュエアを吸収した身体が掃除で動いたことによってホカホカと暖まりいつもの水準に復帰した。つまり二酸化炭素の多い空気が意識や行動力を阻害していたという屁理屈をつけて納得。

 至極寒い朝がくると凍えてしまった身体のスイッチが入らなくなる。それは先ずフレッシュエアが足りないのではないかと思う。だから行動できない。そのままゆけば二酸化炭素中毒だ。だから起きてからまさにエイ!ヤッ!!と寒い海にダイビングするような気分でフレッシュエアを取り込み身体を動かし内発的に暖めるのがよさそうだということに気がついた。行動に移れず逡巡とするのはフレッシュエアの不足。つまり二酸化炭素中毒化にむかっているわけだろう。

 さて画像は半田市カブトビールの赤煉瓦建築。内部は貸しギャラリーや会議室などに綺麗に再生されている。しかし撮影ポジションが取りにくい建築だ。歩道橋にあがったりしながらり全景が納まる立面図的ポジションを探したけどどこかギクシャクしており、やはり月並みなこのアングルしかない。これも悪あがきだったか。

 

愛知県半田市

EOS1Ds Mark3,EF28-300mm/F3.5-5.6L IS USM

IOS1000,焦点距離50mm,露出補正0,f/14,1/500

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EOSな日136. 運河沿いの倉庫

2018年01月12日 | field work

 さて名古屋へ。どうせゆくならついでに半田まで足を伸ばそう。

 半田市で目指したのは、運河沿いの倉庫群。黒澤明の映画「姿三四郎」のロケ地になった場所だが、その倉庫は風前の灯火であり一応保存はされているようだ。といって再利用のあてもないまま朽ち果てようとしている。そりゃ朽ち果てる前にせめて画像にしておかなければ、なのである。

 半田市を徘徊し、その後名古屋市役所で役人達と歓談し、夕方新年会で盛り上がり、ようやく京都に戻れた。もう疲れたのでブログを書く元気もない。

 この辺でおいとま・・・。

 

愛知県半田市

EOS1Ds Mark3,EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM

IOS400,焦点距離70mm,露出補正0,f/10,1/320

 

 

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EOSな日135. 構え方

2018年01月11日 | Kyoto city

 通りの正面に、あるいは街に面と向かって寺の門を構える。そうした風景は、清水寺をはじめとして街中に多い。つまり寺の門から真っ直ぐ参道が続き、その参道沿いが商いで賑わうという構造だ。近代の参道型商店街は、まさにこの構造をしっかりと踏襲してきた。街の構造が変わるとともに商店は移動していったが、それでも街にむかってお寺の正面を向けていることに変わりは無い。

 この画像の行願寺は、竹屋町通りの中心と寺の本堂の中心とがピッタリ合って入るぐらいだから、相当に通りを意識したも構え方だ。それだけにしっかり街のランドマークになっている。つまり空間的論理が明快だということである。 

  構えるというとこの時期は、大学センター試験が全国で一斉に開催される。お手伝いをする教職員が一丸となって構えるわけだ。

 私も何度か試験監督で従事させられたが、全く拷問のような二日間。何が拷問かといえば、試験中なにもしないことである。何しろ携帯を持ち込むなはわかるが、内職するな、居眠りするな、咳するな、靴音立てるな、動くと衣擦れがうるさい、いびきがうるさい、呼吸がうるさい!、といった具合にあまり試験慣れしていない受験生から苦情がでるので何ももできないわけだ。

 そして全国統一基準に基づき実施するので、試験監督者全員に渡される入試要項にそって忠実におこなうわけであり、試験開始に先立って該当教室の主任が行う入試説明も要項の台本通り1字1句正確に発音し他の教員がそれをチェックするありさまだ。それを全部の科目について同じ説明を行うので、説明する方も聞いている受験生もあきれた顔をしているし、私が担当した会場では上位大学の受験生が多かったためかどこか大人であり、お互いにご苦労様ですと優しい目線が飛び交っていた。

 そうした教職員一丸となって行っているクソマジなぐらいに構えに構えたセンター試験で、どこかの大学でミスらないかなと虎視眈々と狙っているメディアがある。全くハイエナのような輩だ。NHKなどはハイエナの最たるものだが、幸い私の大学ではハイエナの餌になるようなことはこれまで一度もなかった。

 大学は場所と人材を提供するだけであり回答結果はそのまま大学入試センターへ送られる。だからこちらはあとのことはシランぜよで大学には全く主体性がない。そうした大学センター試験も3年後には、新テストに変わる。どっちにしろこんな主体性のないことを大学で行う必要があるのだろうかといつも疑問に思う。それよりは受験生が通っている高等学校で行う方が受験生の負担が少なくてよいのではないか思いながら従事していた。この頃雪が降ることが多いのだ。

 そういう今日の京都は、最高気温5℃、最低気温-2℃と終日寒かった。夕方から雨まで降り出し、雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう〜、と鼻歌を混じりでホントに夜中に雪が降りそうな天気だった。明日は名古屋市内で新年会だ。先ずは酒を飲んで寒さをかわそう。それがこちらの冬の構え方さ。

 

京都市竹屋町通

EOS1Ds Mark3,EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM

IOS400,焦点距離150mm,露出補正0,f/8.0,1/250

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EOSな日134. すでにおそい話

2018年01月10日 | Kyoto city

 京都市も、他の都市に比べれば伝統的民家が2万件以上はある(WEBの記述)と推定されるので他の都市と比べれば多い方だろう。実際に新業態の店や住宅としてよく利用されているし、民家を保存再生しようという組織も複数ある。だかそれで街並みが形成されているかといえば、必ずしもそうではなく、やはりリニアに点在という感はいなめない。

 ではどうしたら点在から抜け出せるか。例えば街角における伝統的民家群の連続なのだろう。通りを曲がるとやはり伝統的民家が続いていたというあたりに連続した空気を感じるのかもしれない。ある通りのT字路を曲がっても民家が続いている気配は、時代劇のセットで用いられる方法だけど、そんな交差部こそ民家の連なりを感じさせるかもしれない。

 それにしても京都市あるいは伝統的建造物群保存地区をのぞけば、全国で古民家は次第に数が低減してゆく一方だ。現代住宅と比較して何が違うのかといえば、内装さえ模様替えすれば大して違わないといえる。それに古民家の土壁は、防音、防寒に優れており、こんな優れた建築材料が使える職人さんが今はいないのが現状だ。今民家を修復すれば断熱材を入れたプラスターボードに上塗りあたりになるだろうか。それでも柱や梁は丈夫なので十分民家として機能できる。

 つまり内装の模様替えさえすれば、古民家は現代のライフスタイルに十分合致できるわけだ。そのことは既に古民家を活用している若い人たちの多くが実証していることからもあきらかだ。

 古民家を捨て住宅を新築して内外装を一新したからと入って、その結果何を得たのだろうか。そんな新建材の家がまちまちに建ち並ぶ姿は現代人の近代合理主義が通りに露出してきたみたいで景観的に美しいとはいいがたい。今の京都市内の通りの街並み景観も、四条通をはじめとして全国どこにでもあるありふれた姿になってしまった。

 そう、つまりいじらなけれぱよかったのだけど、すでにおそい話である。現代建築を勉強してきた筆者が古民家を追いかけるのも、建築のプロポーションや街並みが美しいだけではなく、その背後にあるその土地固有の風土的了解の姿あるいは論理があるからだ。そんな風土的了解の姿や論理が地域の個性を形成しているわけだ。

 

京都市醒ヶ井通り姉小路角

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS200,焦点距離35mm,露出補正0,f/2.8,1/6

 

 

 

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EOSな日133. 路地 

2018年01月09日 | Kyoto city

 丸太町周辺で撮影した画像の民家に挟まれた正面の門をくぐると路地奥の民家へ通じている。京都の旧市街地は路地が多い。

 一般には旗竿敷地と呼ばれるものだが、大半が行き止まりであり撮影するのも不可能なぐらい民家群が路地沿いに隣接し密集している。屋内に陽が入るのかと疑問に思われるようなところが多く、例えば物干し場があれば、すぐ隣の家というぐいらなのだから、限られた空間を過密に利用しているといってもよいだろう。むしろそれがこの街では一般的といってよく、大概は撮影不可能なほど狭隘で混沌としているし、隠れ家のようなプライベート性の高い空間だから、私は素通りしてゆくことがおおい。

 そんなかでも家主の世代交代がうまく進んでいるところは、古い民家様式を維持しつつ、アトリエや焼き菓子屋やパン工房などの新しい機能が加わったあじき路地のようなところもある。(2017年6月22日,13日ブログ)

 大和大路通より1本西側の通り、町名でいえば北御門町、山城町あたりだろうか。この辺は路地が結構多く、このあたりの街並みの画像は昨年5〜7月のブログでも紹介した。

 京都の街は、大きな四角い街区で構成されているから、そうした街区の中に入るのにはどうしたらよいかとする方法が路地なのだろう。もちろん民家は建築基準法上は既存不適格なので、新築したら建物のセットバックを余儀なくされるので新築される可能性は少ない。また路地は公道なのかとする疑問もあるし一体所有者がいるのだろうか。そのあたりの事情は京都市に尋ねないとわからない。従って路地沿いの民家は再利用、つまり内装の模様替えで更新されており、そのことが皮肉にも古い民家景観を残している結果になっている。

 そして路地奥の民家は、昔の社会ならば、出職人、左官、鳶職、口入れ(人材派遣業)、賃仕事、家内職人、足袋職人、紺屋、仕立屋、洗い張り屋、寡婦、芸人、芸者、棒手売り、旅芸人、お坊さんといった多彩な人たちの隠れ家だったのかもしれない。

 

京都市東山区

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS400,焦点距離34mm,露出補正0,f/11,1/250

 

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EOSな日132. 銭湯 

2018年01月08日 | Kyoto city

 川岸の赤提灯と銭湯は不思議とよく似合う。ここは元遊郭があったエリアだが、最近若手経営者を得て積極的に銭湯復興の活動をしている。錦湯、船岡温泉・・・。京都では銭湯のことを温泉と呼びならわしている。もちろん地下からわき出る温泉ではなく、かまどで焚くお湯である。市内にはそうした温泉がまだ幾つか残っているし利用者もいる。

 寒い冬の散歩途中で温泉、つまり銭湯にゆくのは少し快感。もちろんそれから再び街を歩けば冷たいことに変わりは無いが、どこか耐えられるそうな気分になる。つまりカフェ代わりに温泉というわけだ。この高瀬川の回りにはカフェがないのだな。いっそ温泉とカフェとか赤提灯を一緒にしたらよいではないかと思うけど。さらには映画館と本屋というのが相性がよいでしょう。そんな新マーチャンダイジング発想で。

 実際銭湯に入るとくつろぎたい気分になる。そのままカフェなら申し分ない。寒風吹く最中銭湯で暖まりお洒落なカフェで珈琲、あるいは赤提灯で一杯やって帰る、庶民の娯楽はそんなもんで十分すけど。

 だから銭湯は、施設の規模も大きいし新たに機能を付加できるところに強みがある。カフェを利用したら、石けんとタオルはただで貸してくれるとか・・・。

 

京都市下京区旧五条楽園

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS1600,焦点距離27mm,露出補正0,f/4,1/60

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EOSな日131. 100年後の世界文化遺産をめざす

2018年01月07日 | Kyoto city

 京都市内の町内会の上部組織に自治連合会がある。昨日はそこの互礼会が元小学校であった。つまり名刺交換会。能の一説の披露があるあたりは京都、それにお正月の童謡「一月一日」年のはじめのためしぞて〜、を年配の人たちが集まる場で大まじめに合唱。というのも参加者のほとんどの人たちは、この小学校の卒業生達なんだ。一生生まれ育った街に棲む、それが京都固有の空気を形成しているのだろう。

 さて話題は変わるが、この画像の通りにはお茶の千家、裏千家の茶室がある。それだけに今でも京都の通りの中では美しい街並みが続く。これが日本本来の風景だったと思われる。そんなことを考えると、現在までそのまま時間が止まっていれば京都の街全体が世界遺産になっていただろう。

 考え方を変えて、これから100年後の世界文化遺産をつくる方法があるだろう。木造の建築技術はあるので、電柱を地中化し、商いの方法を再考し、地震や火災に強い、木造建築群による和の街並みをつくろうと思えば、今では十分可能な事である。今後そういうものが蓄積してゆけば、時間の風化とともに建築は落ち着いたたずいまとなり、魅力ある京都の街並みができるだろう。古いものを残すのも一方だが、現代のライフスタイルに合わせてハイテクノロジーを駆使して復元新築という方法だってあるだろう。

 現に京都市の旧市街地は容積率を低減している。だから既存の高層マンションは、建築基準法上既存不適格になっている。立て直しの時は同じ容積率では建てられませんということだ。現在のようなスポット的な伝統的建造物群保存地区だけでなく、むしろ日本に一つぐらい街全体が日本固有の街並みとなっている、そんな姿が存在していてもよかろう。それが日本文化だと思うけど。

 かっての京都の街、そして江戸の街、あるいは地方の集落などの古い写真や絵図をみると、それが至極あたり前であるかのようにも感じられ、実は私たちは昔から結構豊かな環境に棲んでいたのではないかとする仮説も浮かんでくる。

 京都の街並みを少しずつ復興し100年後の世界文化遺産を目指す、それは初夢だろうか。

 

京都市上京区小川通

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS200,焦点距離35mm,露出補正0,f/8,1/250

 

 

 

 

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EOSな日130. よっちゃん

2018年01月06日 | Nagoya city

 来週は、筑波大学時代の同級生達との新年会で名古屋・金山へ行こうと思っている。

 出来町通りの名古屋市立大学芸術工学部のキャンパスの近くに夫婦で営んできた「よっちゃん」という小さな居酒屋があった。私が大学を去ってほどなくよっちゃんは静かに廃業してしまった。

 いつも作りたての暖かい昼飯に立ち寄り、夜は学生達を連れて飲み会をしていた。学生達が大学で徹夜続きで卒業制作をしていた頃、スーパーのフライばかり食べていた学生が、ああっ茶色いもの以外がある!、といって刺身やウニを欠食児童のようにかき込んでいたり、OBやOG達が来れば、ここの座敷で宴会していた。うちの大学の学生や先生なら誰でもが知っている居酒屋が廃業すると、私は大学のあたりにでかける気分ではない。

 よっちゃんは、別に私が名乗ったわけではないが伝え聞いて私の名前も覚えてくれた。「はーい、揚がったから三上先生出していいよぉー」と、そんな具合である。

 日経MJを読むと、仕入れや流通や人員管理などに技術を集約し、アイデアを工夫し、チェーン居酒屋は、あの手この手で商いを展開していることを報じている。だがチェーン居酒屋は肝心なことを忘れている。常連客の名前を聞くとはなしに覚える技術、そしていつものマスターという風景である。

 そういうことはアルバイト店員ばかりの居酒屋、そして著名さがたたって人が多く来すぎる老舗居酒屋ではできないことばかりである。これらの店の常連になっても名前を覚えてくれることはまずない。つまりヒューマンコンタクトが欠けているのである。だから私は、お客の名前を覚えない居酒屋にゆくことはない。居酒屋は、商いの技術や料理やその味や値段だけで成立するわけではないからだ。

 さて、よっちゃんの画像を探したが、なじみすぎて撮っていなかった。ならば居酒屋の反面教師みたいな今風の立ち飲みバーの画像でもアップさせよう。貴方は、どんなにトレンディであってもお客の名前を先ず覚えることがないところで飲みたいですか?。

 それにしても昨日の京都は、正午の気温4℃で暗い曇天とすこぶる寒い。もちろん雪が降りそうな空だけど降りません。さてユニクロの極暖シャツがあったな、それに靴下2枚履き、ユニクロのセーターでは寒いので厚手のウールのセーターに着替え、これでようやく動けるようになった。本格的寒さも立春までの辛抱と思いたい。

 そんな中を京阪の指定席で大阪へ出かけた。
 

名古屋市大須観音通り

EOS1Ds Mark3,EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM

IOS800,焦点距離100mm,露出補正0.67,f/5.0,1/100

 

 

 

 

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EOSな日129. ラ・ニーニャ現象

2018年01月05日 | Kyoto city

 昨日の毎日新聞朝刊1面に、八坂神社の「かるた始め式」の画像が載っていた。「八坂の杜に雪は降りつつ」と見出しがあった。確かに画像には降っている雪が写っているのだが、これでまた東京人あたりから京都は雪が積もっているとイメージを膨らませ、そして勘違いされるだろうな。

 八坂神社は、私の家から歩いてゆけるところにありますが、実をいうと昨日の昼間も夜も雪は降らなかった。それに今もそうだが晴天。ただ時折10分程度一時雪が舞う状態はある。新聞記事の画像は、この状態を撮影したものです。それを風花が舞うといういい方もあり積もることはなく寒いだけ。つまり京都はあまり雪が降らないし積もりませんというのが現実。まれに雪が積もるときもありますが、今年はあるかなぁー、期待薄です。

 だが滋賀県や関ヶ原あたりでは雪が積もっていれば、東海道新幹線の車窓からは美しい雪景色を堪能できるときもあり、このブログでも新幹線通勤のカテゴリーを開くとわかりますが車窓からの雪景色を紹介してます。例えば2016年1月26日〜2月13日のブログがそれです。そう思って関ヶ原付近のライブカメラをみたら、あら、残念今日は雪がありませんでした。

 確かに今年は寒さがきついのですが、それは西から東に抜ける偏西風が影響しています。ラ・ニーニャ現象の発生で、通例なら日本のはかる南を通過する偏西風が大きく蛇行しているため中国からの寒気が南に進出しており、日本は中国からの寒気の中に位置します。当然日本海側は雪が多いのですが、京都市内がそのおこぼれに預かれるかどうかは予報で雪は平年並みとあるので、つまり雪が降らないという結論になります。京都も曇天が多いので喫茶店の窓からみた画像のように退屈な景色が続くのではないですか。

 だから雪の銀閣寺は綺麗だろうなどというのは妄想ですよ。だって雪は降りませんから。それよりかは東海道新幹線の関ヶ原〜滋賀県にかけて、綺麗な雪景色を堪能できる機会の方がはるかに多い。こちらの方が大いに楽しみがいありますけど、みんなブラインドを下ろして寝ているからなぁー、こんな良い景色を見過ごして京都へ行くのか、ああっもったいないと私は思うけど。1月中旬以降の新幹線の車窓は雪が降れば大変綺麗ですね。それに新幹線が雪のために徐行してくれると素晴らしい景色をゆっくり眺められますから、なおさら良いですね。

 

京都市烏丸通丸太町通東入

EOS1Ds Mark3,EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM

IOS400,焦点距離105mm,露出補正0,f/5,1/60

 

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EOSな日128. Mac、両面印刷→片面印刷への変更ができない?

2018年01月04日 | Kyoto city

 Macで作業している場合の話だが・・・

 筆無精がたたって正月に年賀状を書く。年賀状が来た人だけにだそうという意識もあった。さて早速図版を制作してHPのOfficejet7612で刷りだした。まあ30分もあれば全部終わるはず・・・だが終わらなかったどころかプリンターが紙詰まりをおこす。原因を探ると年賀状の用紙が滑りすぎて送られないようだ。これでは年賀状用紙を変えない限り刷れない。しかも正月で郵便局は休みだ。

 ならばCanonで刷ろう。もちろん刷れたけど今度は、Indesignから両面印刷が解除できない。Canonの新調プリンターPIXUS XK70はせっせと両面印刷をしてくれるから、出力された年賀状の2枚に1枚は白紙だ。だから白紙を取り除き、白紙を再度プリンターにかける。つまり100枚刷って50枚白紙、次に50枚刷って25枚白紙・・・というわけでどこかアホらしい作業だ。結局最後に白紙が1枚残って印刷できたけど随分と時間がかかった。

 作業後に調べたら、最近のプリンターはデフォルトで両面印刷になっていることを初めて知った。さらにIndesignでは両面印刷はしないのでヘルプは役にたたない。そこでAdobeのユーザー質問で調べると「システム環境設定のプリンタとスキャナで切り替えられる」、という回答が出てきた。うん!?、MacOS10.13.2では、そんなので切り替えはできませんから間違った回答であり不適切だ!。

 

正しい回答は、OS、Indesign、Illustratot、Acrobatの最新パージョンでは同様だが・・・、

1.ツールバーのファイル→プリント→プリント画面の最下段にあるプリンター...をクリック。(ここがポイント)

2.印刷設定ダイアログボックスは〜〜〜の注意画面がでる。

3.続行をクリック

4.プリントで片面・両面印刷の切り替えができる画面が表示される。

5.両面印刷にチェックが入っていたら、これをクリックし白いボックスにしておく。

6.プリントをクリックして印刷。(5.の画面に表示されている)

 

 それはIndesignの立場では混乱するので使ってほしくない旨のメッセージをされるコマンドだし、私もこれまではすべてIndesign側で設定するのでまず使わなかった。おそらくプリンタードライバーを読み込んだMacが対応したのだろう。最近のプリンターがデフォルトで両面印刷の設定で出荷されてくる以上これを使わざるをえない。因みにExcelではプリント画面で両面-片面印刷の切り替えができる。また私はWordは使わないのでわからない。

 さて3日の夜半から京都は降雪確率30%で雪予報だ。たしかに湿度は78%と湿っている。因みに東京は湿度45%。京都の冬は湿度の高い日が多く、そうした点では異常乾燥注意報が頻発されインフルエンザが跋扈する東京に比べれば、ある種健康的な部分もある。もちろん実際雪が降ったのかは寝ていたのでわからない。そんな新年の始まりであった。

 

京都市東山区宮川町

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS1600,焦点距離21mm,露出補正0,f/3.2,1/40

 

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年賀

2018年01月01日 | Kyoto city

 ブログは、1月3日までお休みします。

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