身体感覚

身体意識と言ってもいいのかも知れないが、私が今まで1番長く関わってきた言葉だ。座禅を始めるとき、身体を左右前後に揺すり調整するが、あの身体の感覚だ。スポーツなど体を使って技術を習得するときのあの体の感じ。身体感覚は変化する。高まりもし低下もする。育ちもし萎えもする。意識的な努力で変えることが出来る。学生時代、自分の仮説(テーマ)にした。今、その仮説は全く正しいと確信している。当たり前のことだったのかも知れないが、私には、長い長い実験だった。(今も実験は続いている)
人の状態を把握するとき基本的で根っこにあたるところに思える。特に教育において。人を育てるとき無視できない。人は性質として備わっているのだろうが、今日のように、意識や人工が先行する時代 この性質が萎え損なわれやすい。この状況は大人にも子供にも広く見られる。他人事ではなく、40数年前私自身が経験し不眠症になってしまった。普通教育、障害児教育  共に基本的な観点であり、育てるべき内容だと考える。
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