学校は非教育的?

勿論皮肉だ。小学校1年生の入学式。どの子も輝いてる。実際、子供達は1日も早く「勉強しよう」とせがむ。それは国語も算数も、音楽も体育も図工も全てに渡ってしかもほぼ全員だ。勉強ばかりでない。休み時間も元気に友達と遊ぶ。お掃除も大好き。初めのうち高学年が掃除をするのを恨めしそうに見ていて、「お掃除をしよう」と声かけするとワーと歓声が上がる。それは今まで小学校10校近く経験したがどこも例外はない。しかも現在も同様だ。子供って素敵だなーと思う。ところが,ひと月もしないうちに様子が変わってくる。始業の合図があっても、席を離れていたり、勉強道具が机上に出なくなったり。掃除当番が回ってきても前ほどでなくなってくる。これが半年もすると、ほとんど逆の反応や声が出てくる。勉強しないで外へ行こうと声を掛けると歓声になり、「勉強しよう」というとため息が漏れてくる。どの学校もどの学級もほとんど同じ。小学校の教員で低学年を何回か経験した人ならほとんど同様に感じだろう。興味を無くし嫌いにしたのは、何故か?事実として学校教育の名で嫌いにさせられている。答は簡単だ。誰でも強いられた物は好きになれない。人の法則だろう。日本の小中学校の不登校児童生徒数は毎年1万5千人新しく生み出されている。、教師仲間で生徒を見ていて、「順調に悪くなってるね」とこっそり囁かれてるのを多くの人は知っているのだろうか。誤解の無いように付け加えるが、これは教師や親の個人に期すことではない。システム上の問題だ。なぜなら新1年生の例のように、ほとんどと言っていいほど例外がないのだから
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