続 所信表明演説

昨日は演説の全体について書きましたが書き終わって何か不十分さが残りました。教育の部分を取り上げ補足したいと思います。まず<教育再生>の小見出しです。はじめ読んだときは、今までは<教育改革>と言っていたのに ?と思っただけでした。しかし考えて見ると、やはりかなりの問題を含んでいると思いました。教育再生ですから、教育がいい時代があったということです。戦後レジーム(枠組み)の見直しから言えば憲法や教育基本法の変更と言うことになるのかもしれませんが、戦前の「軍国主義教育」と言われるものに再生するとは何がなんでも考えないでしょう。そうするとどこに再生するのか?再生の目標に(学力と規範意識の向上)がありますが、かつて子どもの学力が世界的に高いと評価されていたのは、日教組の強い時でした。学力低下は日教組の沈滞と殆ど時期が重なります。あそこへ戻したいはずは無い。規範意識も、焦土と化した戦後昭和20年代ぐらいは少なくても今よりよかったと思います。最近の犯罪は当時育った人には考えにくいことです。規範意識の低下は高度経済成長の下、家庭を含む色々な分野でいっせいに伝統的な共同体が崩壊し、教育行政がそれを後押ししたことと時代的に一致しますしこの因果関係は昔も今も、国のいかんを問わず現れる現象です。私は長い子どもとの付き合いから、今日の学力の低下やモラルの低下は基本的には子どもから生き物としてなくてはならない主食のサンマ=3間(時間・空間・仲間)を奪ったことと共同体を壊したたことに尽きると確信を持って考えています。戦後の大変な時期でもいろいろな意味で教育は今よりよかったと思います。もし教育の再生と言うなら、この基本的な基盤を再生しなければならないはずです。しかし演説では、学力低下は更に授業時間を増やし、モラルは法律で、教師の免許証云々。このように実態からではなく上から法や制度によって変えようとして内閣が(教育再生会議)を設け英知を結集しても、基本的な方向違いでは出口はさらに遠のくはずです。とにかく

教育や子どもの実態を省みず《教育再生》の言葉が使われているることに、ことの本質があるのではないだろうかそれでも政府や安倍さんは作文の評価は提出したので評定は3の(上)をつけた。他の野党は作文が未提出なので、評価の対象にすらならない。(それはそれとして)国会で代表質問もあるだろうが、従来見て分るように双方は子どもを置き忘れた現実感の無い空中戦になるだろうと思う。相変わらず国会は空中ショーか?と揶揄したくなる。

「授業時間を増やして学力をあげる」と所信表明演説で話されたが日本中の子どもに聞いてみるといい。(現状の子どもの顔や動きを見れば返って来る声は分りきっている。これは学力以前のことで、子どもの発達の原理を超えてバランスを失した子どもの生活が問題の原因であり、本体自身を傷つけている。学力低下はその結果の一つ。学校に行けない子どもの多かった明治や大正時代ではない。勉強は長時間やればできるようになるというものではない。むしろ「過ぎたるは」でこれは単に首相の所信表明の如何を超えた、野党や一般国民を含めた子どもから目のそれた今日の大人の空気からでてきた言葉だと思う。子供を無視するという意味では同じだが「教育再生」より「教育改革の加速」の小見出しの方がまだ経過に即していてまだ正直と言える。

 

 

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