学校の教委への虚偽報告

この間はいじめ、今度はは高校の履修不足の教委への虚偽報告が問題になっている。東京都の教委は「書面(教育課程の届出)の確認で適正に実施されていると思っていた。」と述べ、発覚の発端発端になった県(富山県?)の教委のの担当者は「書類審査は性善説でやっている」の談話。両教育委員会の述べていることに今日の教育問題の根っこの1つを端的に見る思いがする。耐震偽装のときの、当局の話と全く同じだ。官僚制は実際より何より書類を優先させる。他の分野はともかく、教育は書類優先では成り立たない。何故なら育てる対象は生き物で絶えず変化する。書類を審査したのでは子どもが見えるはずがない。中央集権的な伝統的の教育行政のもとで発生した。問題が出ると中央集権をさらに強める。何よりこんなときに教育の指導機関から「性善説」などの言葉出ることに事態に 恐れ入る。「性善説」の意味が分っているのだろうか。指導機関は最低の言葉の意味ぐらい判って使ってほしい。ごまかす時やたら横文字やや専門用語を使う傾向があるが、使い間違うと格好つけただけ恥ずかしい。見ている先に子どもがあったら「性善説」「書類審査」などの言葉は100パーセント出てこないと思う。
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