情報がもたらすリスク

今日のサンデープロジェクトで(始めてだと思うが)今の景気は本当か?が論議された。「多くの人が好景気を実感できないうちに景気は悪くなる」がほぼ共通した見解のようだった。しかも、政府や表向きの財界が表明しているよりかなり早い時期だろうと見ているようだった。景気への危惧をメディアで大きく取り上げたのは私の見る限り初めてだった。景気の実態も先行きもある程度把握し予想できるものだと思う。私はこのような論議がメディアに登場するのは遅すぎると思っている(昨年8月の踊り場脱出宣言は名目的で経済の体力は落としているので長く続くとは考えられなかった)、が政府や日銀、財界などの正式な表明は今も「景気は順調で底堅い」で先行きの危惧はいささかも見せないから、見方によっては早いとも言えるのかもしれない。ただ私が遅くてしょうがないと思うのは、多くの人や企業はしかるべきところの正式な表明やメディアの情報に左右されて行動しているからだ。景気の落ち込みの情報が遅ければそれだけ計画や対策は遅れリスクが膨らむ。かつて多くの人がしばらく痛みを我慢したら明るい展望が切り開かれると思っていたはずだ。あれから5年になるが、特に地方財政は疲弊し、中小企業の経営の不振、勤労者の平均収入は減少している。犯罪や家庭や子どもや教育も深刻化している。情報と実際がかけ離れ、結果、多くの国民はそのリスクを背負う。特に子どもの教育お経済は実態を踏まえて情報を流してほしい。ジャーナリストやメディアは現実と符合しているかのそのチェックをしっかりしてほしい。卑しくも恣意的に情報で操作するのはやめてほしい。景気やいじめをはじめ教育の問題は立場や考えの違い以前の現状把握をせずご都合的な情報を流し、対策や対応が後手後手になっていることが最も問題だと思う。与野党関係なく現状把不足のひどさを感じる。回りも全体的に大人が浮ついている感じだ。専門的なことではなく常識が機能していない。 【好景気】【いじめ】など普通に空気を吸い、子どもを見ていれば実際がどうかは所謂「専門家や権威者」や「メディアの論評」より自分の心に聞いた方が はるかによく分る。 対策だってこんなに後手後手にはならない。独り言だが、尋常小学校もそこそこの私の父や母(とっくに天国でゆっくりやってるが)が総理大臣や文科省の大臣をやったらもう少しましではないかと思う。教養はないが常識はあったし、口数は少なかったが見る目は確かでどれだけ体裁を取り繕い、言い訳しても、いつも心のおくまで見抜かれていた。

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どうかしてない?

今日は朝から多くのテレビ局がいじめの問題が取り上げていた。特に福岡の中学の担任がいじめのきっかけになったことや、学校や教育委員会の隠蔽体質のことで、教育者のモラルがこんなに地に落ちたかと驚き嘆くものだった。私は妻〈元中学教師)と驚き嘆く人たちの鈍感さを嘆いた。今のいじめは昔と異なり構造的であることがさっぱり分っていない。文科省は教師や子どものモラルの問題としてさらに指導を強めるとのこと。対応が全く逆であることに気が付かないのか、そうでなければ今国会で教育基本法を変える世論作りと勘ぐりたくなるほどだ。今の形のいじめは実践家の中では40年近く前から予想されていたし、我々が実際に学校で目にするようになってから少なくても20年以上たつ。隠蔽体質と言われるようなのは私が教員になったときから地域や学校に関係なく普通にあった。ただいじめにしろ隠蔽体質にしろ年々ひどくなっていた。同時に子どもの問題はいじめだけでなく不登校・発達障害・体力学力の低下・欝的症状・学級崩壊等など問題は深刻化するばかりだった。また教師の精神疾患も同時に増えた。そんなことは殆どの現場教師が経験しているはず。そして原因もどれだけ整理して言語化できるか分らないが殆どの教師は感じているのではないか。ただ今は既に物言わぬ教師になっている。組合も含め物言わなく【言えなく】なった。今言われている対応は55年ぐらい前、私の小学校時代だったらまだよかったかもしれない。しかし教育は医療と似ているところがあって、状態によって逆の対応が必要。そこが分っていない。大人は落ち着いて人について考えるといい。難しい教育論や方法は必要ない。常識で十分だ。

教えることは学ぶことが前提。教育官僚は上部が下部を指導し教えることばかり考えている。行政の他の役所は分らないが、こと教育関係の役人は現場の教師同様まず学ぶ姿勢が無くてはならない。対策【指導】もそこからしか見えてこない。現場の教師ならまず子どもから学ぶ姿勢が資質として求められる。政治家は勿論文科省をはじめ教育行政に携わる人たちにそれが殆ど感じられない。上から人を見ては人の本当のところは見えない。それでは対策など出てくるはずは無い。内閣が組織した教育再生の委員の顔ぶれを見るとどれだけその資質を持っているだろうか。組織した人の目がこどの方には向いていないしまして学ぶ資質を持ち合わせていないのではないかと思う。こと子どものことだから、他に利用するようなことは許されないのではないか。まずは時間をかけこどもをよくみてほしい。それでも間に合わないだろうからせめてげんばのはなしに直接耳を傾けたらいい。対策を考える最低限の手続きだろう。

教室の子どももそうだが、間違った指導はやればやるほど

子どもはだめになる。今日の子どもや学校はそのことを物語ってはいないだろうか。大人が腹を据えて考える時だ。

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