世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
ロック
フランク永井等の歌謡曲で育った自分はロックの音楽は意味が分らず付いていけなかった。それは今も同じだが、言い訳がましいが、最近ちょっと考えるようになった事がある。 確かに感覚的には時代に呻吟するものだとは思う。 しかし、どこか心もとない。 呻吟しながら、その波に乗り、時にはその波を加速させていないか? 感覚的に反応し、絶叫しても良いが、その奥のものを感じ取らなければ、 駄々っ子にも似てくる。 政治経済文化教育など、全ての分野で行き詰まっている時、唯歌って踊っていれば良いものではない。もう一歩踏み込んだメッセージ性が欲しい。 そうしないと、権威を笠に、口でどうこう言いながらまったく逆をするこの時代のリーダーと同じことになる。それでは時代のあだ花。下手すると単なるぶっリっこになる。 テレビではロック愛好家?のそう言う言説をよく耳にする。 真面目な文化改革?も見たい。
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そろそろ気付け!
教育の常識(当たり前のこと)を放り出しただけのこと。大学で、教育哲学や教育原理、教育方法などの学問?はあるが、常識は学問?の対象にはしない。今の「学力向上」を看板にした教育方法は『よく学びよ日増しに子供の教育環境が悪くなり、子供が呻吟し、「学力向上」の掛け声とは裏腹に学力低下を招いている事を、親も、現場の先生も、進学してきた大学も、学力向上を要請してきた企業の現場も感覚的ではあっても分ってきているのではないだろうか。 国も家庭も、お金をかけて頑張っているが?原因は単に昔からのく遊べ』の常識に勝っているとでも言うのだろうか。 もうそろそろ結論を出しても良いのではないか。 経済政策同様、(どうにも止まらない)現実。 (鍋ガエル)は毛利元就の帝王学。 今は、帝王もなにも皆が(鍋ガエル)になったようだ。 学校へ行けない子供をこんなに抱え10年以上にもなる。 想像力はどうした? 政治も経済も教育も、常識も無い「専門家」が多すぎる。 専門家ではないが常識を持っていた私達の親はそういう人たちをよく「はんかくさい」と言っていた。
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