世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
言葉
皆が使う言葉であっても、意味あるものから無いものまでこんなに違いがある。
これも直感だが
ドフストエフスキーの【お金が世界を支配する】を現代の予言だとの評論を全くの的外れとは思わない。
そして、今日の金融危機を解決しようとする国内外の解決策もまた、お金に支配されているようにおもわれて仕方ない。
学生時代、聖書の(神)のところを(お金)に置き換えて読み通したことがある。それなりに意味を成す。今なら(地球)に置き換えて読んでみると面白いかなと思う。 1度、頭の中が(お金)に染まったのを、(地球)へ変わるのは大変だとは思う。
ヒトビトは賭博で失敗したのに、懲りずにまた次の賭博の準備をしているようだ。
神の代わりにお金に換えて読んだのは50年前で、個人が変わるのは普通だが、 世界ともなると時間がかかる。
地球に人格があれば同じように思いながら、催促するメッセージを送り続けるに違いない。
(古い)権威ある リーダーの言う事より、地球に耳を傾けたほうがよっぽど先の予測が当たる気がする。
人間のどんなに小さな「新しい芽」でも、目と耳を凝らして追いかけると、追いかけがいがあるからいい。
地球と同様、元々そういうふうに、出来ているのだろう。
文学
世界中を覆う閉塞感の中にあって、文学への関心が変わって来て内外の古典文学が見直され ていると言う。
「ドフストエフスキーは、21世紀の現在を神が支配するのではなくお金が支配する事を予言していたようだ。」と評論する人もいる。 蟹工船云々は耳にしていたが、よく分らなかった。
夏目漱石が語られたり、寅さんの俳句(風天)を見ていると、何だか今文学が読まれる訳が分る様な気がしてきた。
懐古趣味でなく人間を取り戻す、時代の【新しい芽】になるといい。
内輪もめ
地球上のヒトビトが演じてる依存的な競争は、後退時に見せる内部抗争的な状況を露呈しているように見える。(内輪もめ)の語感がピッタリする。
世界的には、対アメリカ批判。
世界の金融危機を一方的にアメリカの責任に求める向きがあるが、世界のリーダーもそれに追随し一緒に舟を漕いできたのに、誰が大きな声で言える?
日本も同様、メディアをはさんだ(内輪もめ)を取り上げたい。 今朝の新聞は元経団連会長の奥田氏が時に厚生行政を批判する一部テレビ局に対し、スポンサー退却をほのめかした事を伝えていた。
奥田氏は日本の政治をリードする財界のドン的な存在で、海外でもトヨタ方式で名を馳せた。 トヨタ自動車とテレビ局は企業としてみれば、力の差は桁違い。 これまで、マスコミが時に政府批判をしてもジャーナリズムの味付け程度で、基本的には政府と一体で広報の役割を果たしてきた。
トヨタもテレビ局も殆どは共に政府のスポンサー的な立場に立ってきた。 だから、奥田氏のテレビ批判は単に内輪もめかテレビカメラを意識しての事にうつる。
唯、大事な事は世界や日本の状況は余裕を失い、戦う相手を外にではなく内部に向けだした事である。
状況がにっちもさっちも行かないところまで来た時に出てくる行動である。
世界も日本も、これまでの思考や行動様式では通用しなく、新しく出口を探さなければならない状況にあることを意味しているのではないか。