(民主主義)の次の(時代)言葉は何だろう?

 人類がたどり着いた概念が(民主主義)と言えなくも無い。
 解釈や形は色々あっても、多くの国は(民主主義)を建前として
法律や制度はが作られ、この概念や価値観を否定してかかっている国は知らない。
 ある意味で歴史的な理想的な到達点で、現実の多くはそうはなっていない。目下は進行形だと言っていいのかもしれない。
 ところが、地球規模で見ると、地球環境はその人類の活動によって壊されている。
 自然と人間を対峙させたとき、民主(人間が中心)でいいのだろうか?
 憲法の自由は(公共の福祉に反しない限り)の制限がある。
 それでも、今日の地球破壊は進んでいる。
 民主主義を否定するものではないが、自然と地球を合わせた地球を視座にした、新しい概念や思想、新しい制度や体制が(ちょっとしたら既に)必要になっているのではないだろうか?
 それがどんな言葉かは分らないが、歴史は壁に当たっては言葉を生み出してきたのではないだろうか?何だって、これでおしまいという事は無い。
(老人の白昼夢かもしれないが‥)
 
 
 
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当たり前を疑おう

 選挙報道を見ていると、全く白ける。
戦後、何度選挙をしても自民党ばかりが勝ち政権を担った。民主主義の名による独裁のようで、(巨人・大鵬・卵焼き)も負ける。
 1980年代の経済の行き詰まりを政治主導の政治改革で乗り越えようとし小選挙区制を取り入れ、欧米に見られる政権交代のできる2大政党制に導いた。
 中でもメディアの世論操作で果たした役割は大きかった。
 現在は、(政権交代選挙)の声も聞かれるから、狙い通りだったと喜んでいるかもしれないが、現実は当時よりさらに混迷を深め危機的状況に陥っているのを見ると、政治的には失敗だったと言えるだろう。
 現状は、選挙や民主主義そのものが問われている。
 かつて、民意がこんなに簡単に操作されるとは考えていなかったからだ。
 現在は(操作された民意による選挙)(多数決)(2大政党)これらの社会発展を阻害していないか?
 以前書いた(自然の理)と(人間の理)で言えば、自然の理が上記のシステムの中から生まれるとは考え難い。
 結局、地球や人類的な危機を救う方策はこれまで無かったような壁にぶち当たらない限り現在のシステムの重しで、 表に出てこれないのではないだろうか?
 近頃の社会の状況や世の中の様子をを見ていると、理想や当たり前のことを猶予のあるうちに、今1度疑うか、少なくても見直さないと、損害は大きくなるだけだと思う。
 
社会は 政治力学で行き詰まっても、政治力学で抜け出す事は出来ないと思う。
 政治の根っこには文化の問題があるからで、文化的な気付きは少数(または個人)から生まれるものだ。
 
 
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