俯瞰して見ることの難しさ

囲碁でも、世界経済を見るときも正しく見ようとすれば俯瞰力が決定的に左右する。
 どうしても、自分サイドから見て失敗する事が多い。人間の本能カと思わせるほど自分を離れてみる事は難しい。
 昨日今日と教育懇談会で、子どもの事を語る親を見ていて、自分の立場を離れられずにいる自分をを思い出した。
 自分の子どもを見る俯瞰力は囲碁で言えば初心者に近いかもしれない。
 簡単には避けられない現実かもしれない。
 <愛は盲目)と言うが、これは恋愛だけでなく親子であろうと同じかもしれない。愛の大事さはそれとは別だろうが、その事は知っておいた方が、囲碁のように上手く行くかもしれない。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

安全保障

午前中、政治討論会をしていた。
 専守防衛・集団安保・武器禁輸などの見直し強化が中心の討論だったが、
 このようなテーマの話し合いで何時も賛成する人も反対する人も
 何ぜか安全保障=防衛 の図式の中でのみ論じる。
 現実社会と合わない2つのことが何時も論外になっている。
 1、国や国民の安全は戦争だけではない。 地球環境、経済、パンデミック
   食料は関係ないか?

 2、社会に生起する出来事は全体的な社会的条件とつながっている。
   まして戦争ともなれば、国の存否が問われるわけで、時代と共に武力絶対的条件ではなく部分的な条件になっている。 まして現在は経済や外交や国際関係、情報の比重は増すばかりである。
 それはこの50年間、軍事力が戦争を避け平和を維持する決め手になってこなかった世界の事実を見れば分る事。
  軍事力を全く持たなかった国が戦争をしたり、巻き込まれ、逆に軍事大国で戦争に関わらなかった国はどこかにあっただろうか?
 武力は戦争を起こす(避ける)1条件ではなかったろうか?
 全体を見た安全保障の論議が聞きたい。
まして、「憲法上」を理由に反対するのは、理由にならない。
 学校で子どもが、<何故廊下を走ってはいけないの?>と質問され、<学校の決まりだから>と先生が応えるようなもの。理由になっていない。
仮に言うなら(憲法に書かれた理由は知らないのですか?)と問い返す所までではないだろうか。
 どっちみちお粗末な議論である。
 
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )