何やってる?

この春、国連がパンデミックを宣言して以来も世界的には拡がる一方だった。
今、アメリカでは10月中旬をピークに国民の半数が罹患するのではないかとの専門機関の予測もあり、対策を急いでいる。
 パンデミックの医療体制の不備は何年も前から(あのブッシュ大統領でさえ4年前にサミットのテーマにしたほどだった。)
 それがここに来て、ワクチンもタミフルも足りず、これから配布する優先順を決めると言う。
 患者が増えると医師や医療機関は不足し、自宅療養する事になるらしい。
 体の良い責任放棄放である。
 予知されていた新インフルエンザが世界や国にとってどんな意味を持ち、どんな結果をもたらせ、どんな対策をしなければ成らないかは、ある程度明らかだし実際に具体的警告する識者もいた。
 今日の川柳に「責任を言って(ワクチン)準備せず」とあったが、今は( )の中には何でも入れられるご時世のようだ。
 ただ、これは責任だけの問題にしてはならない。
他の野党もどのメディアも、きちんと 準備を催促した話は聞かなかった。
 単に責任ではなく我々が新インフルエンザをどう見ていていたかである。
 狭い視座で見れば部分的な小さな出来事の一つだろう。
その誤認が今日を招いていると言える。
 インフルエンザだけでなく、社会のいろんなこと(例えば選挙政策)も同様である。
 これまで、視座について述べたのは(雑誌で)寺島実朗氏しか知らないが、彼は視座を(世界にせよ)と斬新的な発言をしたが、実際はこれでも間に合わないはずである。
 新インフルエンザも地球的な規模で自然をベースに見ない限り原因を明らかにし対応するのは難しいのではないか。
 
 
 
 
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