政治でよくなっている?

 40になってからこの30年間、政治でよくなった事は何だろう?と思い出したが、
 近くの川の水が綺麗になったことと、水道水がいくらか美味しくなったこと以外に思い出せず、悪くなった事は教育を始め、切りなく出てくる。(妻も似たようなもの)
 この間、国政や地方政治の選挙が何十回行われたかしらないが、果たして我々は何を選択してどうなってきたのか疑問になる。
 もし、選挙や政治で我々は幸福から遠のいているとしたら、社会的にも個人的にも何か方法を考えないとしょうがないことになる。
 今度の選挙でそういう、過去の選挙や政治の反省が与野党、どの立候補者からも聞こえない。 与野党に限らず、まずはこれまでの政治の責任を詫びてからマニフェストを述べるのが国民への挨拶ではないか?(次元は違うが国民の責任はもっとある。)
  言葉ではなくこういうところで各政党の見ている先が分ろうと言うもの。
 
 
 

 
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一つの本能

地上で生起する出来事は、人間の認識上は関連している場合もあるし、関連していない場合もある。しかし、繋げて捉えようとする力が本能的に働く。
 地上で誰かがそう捉えている事を前提に、我々は生きていなだろうか?
 そう言う人がいるかもしれないし、いないかもしれない。
 どっちにしても、いると考えてものを考え、行動する方がいいようだ。
 それが神や仏であろうと、闇の帝王であろうと、いようがいまいが世界の色んなことを主体的にまとめて考える事ができなければ物事うまくいかなし、その事自身自分にとって不幸だと思う。
 
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目に見えないものの一つ

教員現役の頃、授業参観があったが、正直な所好きではなかった。
 勿論、必要ないと言う意味ではない。
 どこか、トイレを覗かれている感じに似ているからだ。
 クラスの子ども達とはそれなりの時間を過ごしている。こども達と、気持ちを繋ごうとすれば、子どものに裸になってもらう前に、自分が裸にならないとならない。
 子どもの保護者であっても、付き合っている時間が違う。
 結局、どこかで保護者を意識し、子どもに集中できなかった。
 教室の中だって、そういうものだ。
  この目に見えないものが段々いい加減にされて行く時流が良いとは思えない。
  無神経すぎる。
 
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