新と旧

今の時代が行き詰まり時代の転換点にあることは立場を超えて誰しも感じていることだと思う。
 歴史的に時代のはざ間は新旧が入り乱れその時代の中にあっては新と旧を識別するのは難しい。
 現在の日本はどうなっているだろう?
 新旧の勢力が対峙するところまで来ているとは考えられない。
 図式的に表すなら大部分の守旧派(保守・革新に関わらず)と将来、新時代を担うであろう新しい理念を持った【小さな芽】が対峙していると表現した方がいいようである。
 新しい時代は地球規模でさらに自然に根拠を持った理念が求められている。
 政治的には【小さな芽】は見えないぐらいの小さな存在でしかない。
 今、考え行われてる政治勢力の対立や力学で処理しようとする事が自体が守旧的な理念に立っている。
  古い人間同士が向き合う時代ではく、現況は人間と自然が全体として向き合わなければならない時代にすっぽり入っていると考えられる。
 そう考えると、(20年五輪「東京も招致」石原知事が意欲)や嘉手納基地移設の論争、中長期の経済成長路線の議論(中味)が党派を超えて守旧的発想(守旧以前の常識を欠いたものもある)であり守旧派内の対立である。
 特にメディアの古い発想と体質が時代を混乱させている。
 今の時代は、小難しい専門的データや知識で理屈付けして経済不況の予測を間違えたり、経済大国が自殺大国になったり、貧困率を高めていいような時代ではなく、
 単純な常識でいいから、「ハダカの王様」の子どものように、ありのままを語ることが皆に求められている。
 
 それが新と旧の違いであり、小さな星の新陳代謝だ。
  子供達には古いものを詰め込まない方がいい。
 
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