犠牲は出来るだけ少なく



「自然と人」の関係からすると 世界の行き詰まりは人類が地球に対して不適応状態であることを意味していないだろうか。

   経済社会的に持続不可能で しかも生体をも破壊する兆しを見せる人間活動であることを知っていて止められないでいる。
  
   一方、グローバリゼーション(地球化)は 休みなく進化し

    不適応状態は解決するだろうが 先は遠い。

     その間 犠牲を出来るだけ少なくすべく 一人一人は 知恵が試される。

    

   
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 生体だから好くて良い



人が「人と自然」と人中心に考えるのは勝手だが 現実は「自然と人」の形で人は自然の一部として存在している。

    思惑と現実の違いが 現代社会の行き詰まりを生んでいるんだろう。

   基本的に生体であることを念頭に 改めて考えた。生体として好くて良い。
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生体から見た現代社会



    衣食住を絶たれては 人は生きていけない。

      何はともあれ人は生きるために必要なものを求める。
     場合によっては 生体の性質を犠牲にしてまで 求める。

     現代社会は そこまで行ってないだろうか。

      自己肯定やプライドは 何処へ行ったか と思うことがある。


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2つの性質がもたらすもの



  生体の2つの性質は根源てきだから 自律神経や感情をも左右し易い。

   逆説的には自律神経や感情が安定していることは 生体の2つの性質が良い状態に保たれてることを意味する。

  2つの性質は根源的だから これに止まらず 運動や大脳の働きなど 活動の全領域に関係しているだろうと考えられる。
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2つの性質



生体の性質として
   
    ① 自分の体に対する 感覚や意識を持っている。
     
    ② 探索行動

     
     に注目している。

     生体の状態を上記の2点との関係で測れないか。

    人の活動は社会的な意味と生体的な意味を持っている。

     社会的な意味は強調されがちだが 生体的な影響や意味如何では活動の社会的意味も異なってくる。

     それは個人の自信や社会的な対策とも関係する大事な材料になるのではないか。

    現実の社会では 生体の2つの性質は あまり考えられていないようだ。
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