「知識人」の用い方

 

 

    知と言えば すぐ「知識人」が思い浮かぶ。「専門家」や「学者」も似ているが

    知の役割を果たすのは難しい立場にいないだろうか。

    今多くの場で求められるのは「全体知」であって細分化された「分部知」ではない。

    知識が専門化されてる現在 「知識人」は 最も「全体知」を把握し難い立場ではないか? 知識人の用い方が違ってる。

 

    

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知が見えぬ

 

 

   国の内外には 変化を理に求めるものと力に求めるものとの両者がある。

   安易に力に頼る傾向が強いが 解決に至らず悪化させることが多い。

   内外は行き詰まりは 山積した課題を抱えている現在 どちらに出口を求めるかが問われている。

    何処へ行ったか 知が見えぬ。

    

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ボーッと見ていると

 

  子どもの頃好きだったやくざ映画では やくざがやられる時に拍手が沸き起こった。

   時代が変わった現在 映画のような現実社会では やくざにやられるのを見て拍手が沸き起こる。

   地球の円形劇場を見ていると ついそんなふうに見えてしまうが、よくよく見ると

    勧善懲悪になっている。ボーッと見ていては分からない。

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それでいいのだ!

 

    完全無欠な人はいない。

  天皇や皇太子の記者会見での話を聞いて やっぱいり「普通の人間「」だと思った。世界に対する知見は我々同様 ボタンを掛け違っている市民と変わらない。難民への思いも

  生み出した背景に思いは至らない。返って ホッとした気分になり良かった。

 

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