世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
主客転倒
地球が生まれて46億年 現在の大陸が生まれて2億年 そこに 人が棲み出して数万年
人は 自然の恵みを「神の恵み」と言い換えて棲んでいた
まだまだ行ったことも見たこともない知らないことだらけの地球で棲んでいる
いつの間にか 主のような顔して 「自由だ」「民主主義だ」 と言いながら 己を忘れ 争いながら棲んでいる
横に繋がる現代的意味
朝から晩まで どこもかしこも多幸感に溢れた日本のようだが 実態はどうだろう⁇?
この街だけ見ても 自殺者 引き籠り 精神疾患 孤独死 老人の一人暮らし 不登校 発達障害児 等々
生活に大変な困難を抱えた人を 仮に生活難民者 とするなら この街に難民はどれだけいるだろう?
難民の殆どは見えないだろう 。
情報による多幸感と実態の乖離は 予想とは大きく違っているだろうと思われる。
生活者の横の繋がりを回復せずにその実態は浮かび上がらないだろう と思われる。
図々しい物言い
親による子供の虐待死が 他人事のように報道される。
果たして 真に他人事で言える大人がどれだけいるんだろうか。
大人は 自然を壊し借金を山積みにし 稀にみる老人大国を 子供たちに残す。 これほど大きな虐待があるだろうか?
アクセルを踏んで!
社会の荒廃ぶりを見ていると つい倫理や道徳の必要性を説きたくなる。
倫理は時代の人の求めによって変わるのに対し自然の理は 人の都合では変わらない。
人や社会が基盤として依拠してるのはどちらだろう。
このボタンの掛け違いが荒廃の起因ではないか。自然への回帰の動きがさらに高まらんことを!
ベネズエラ
ベネズェラに対して国際社会が色分けされている。
世界の近代史を彷彿させ グローバリゼーションの到達点を見ているようだが 「5Gの時代に 未だ こんなことしてるのか!」と時代的なズレを感じた。
色分けするより先にやることはないのか?
統計不正の責任の主体
政府による統計の不正は 成るべくして行き詰まりを来たしてる世界経済の行き詰まりの基にあって、「経済成長」の御旗を掲げる政府にとって必然性があるともいえる。
官僚や政府の責任や改善策が論じられているようだが 単なる過去の繰り返しで終わるだろう と思う。
これまでも長らく 党派的議論を優先し 管理の背景や原因を掘り下げずに曖昧にして来た。こんな状況下にあっては公の情報を鵜呑みにせず 自分の頭で
考え 筋道をつけるのが生活者である市民の務めだろう。
それを長らく放置してきた市民の責任の自覚が 最大の改善策だと 私を後方に見ながら ドジラは考えているようだ。
掲げる御旗が自然の理に反していることは 特別な知識や統計の必要もない 自然の理や経験から 子供でも分かること。