橋を架ける言葉

 

    動物を基にした探索行動の言葉が人の個の生体にも広く社会にも有効に使えそうな気がして面白い。 

      探索行動を失したら 人も社会も旨く行かない と考えている。

       

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ドジラとの付き合い②

 

   要するに 検証の目的は

 探索行動や身体感覚が動いている時と動いてない時の行動や生体の様子(ここでは特に体温)を比較し違いを見出すことである。

   (このブログは日記として書き始めたが これからは 雑記帳として使おう。)

   

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探索を忘れた人間

メルケルさんの一言が聞きたかったのに 新聞やテレビは 全く伝えてくれなかった。 

  日本の政府やマスコミの国際感覚の疎さが端的に出たんだろう。

   ベネズェラのことが盛んに取り上げられている。中東やアフリカからまたも南米に飛び火したかのようだ。

    アメリカやフランスの宗主国と植民地の現代版を見ているようだ。

      結局は米中関係が世界の両極になるのだろうか。それはともかく 力づくの統治が行き詰まっているのだから繰り返していては 共倒れが さらに進むだけ。
                     歌を忘れたカナリヤならぬ 探索を忘れた人間のようだ。

       

      

 

  

 

     

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ドジラとの付き合い

 

 

  「人と自然」の関係に対して 根源的な間違いの上に成り立っているかのような現代社会は 生体は 危うい環境にあると言える。

   その事を 人の育児や教育を中心に その影響を捉えたい。

    はき違えているかのような危うい文明・文化の基では 人は生まれて間もなく その影響を受けるだろう。

     影響による変化は 受けていなかった早い時期の方が確認し易い。

    ・・・と言うことで乳幼児を中心に色んな手法 (観察 計測  聞き取り 質問紙調査)でするのがドジラの願望。

      8月ごろを目途に 一定の検証結果を得 昨年に続き11月のフォーラムで発表したいと考えている。

      定年まで3年 延長して5~6年 遊びまくるドジラと 空知の納豆をおかずにしながら 今日も付き合う。  

 

     

  

 

   

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