世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
希望や勇気の源
「 気は持ちよう」とは言うものの 気を紛らすにも限界があり 不安やストレスが増すことがある。
まともなニュースが無いまま 朝から コマーシャル スポーツとオリンピック 笑いを交えたワイドショー グルメ 故郷を訪ねてを 連日やられては 落ち着かない。
世界は 暴風雨 山火事 氷解 飢餓や戦災難民
日本だって今日も70人からが自ら命を絶ち 悲鳴も上げられない子供や孤独な老人 日々のやり繰りに追われる人々 病に伏す人や家族
そこに一瞥もせず 明るく幸せな情報が休みなく繰り出される。 どうして共有しないのだろう。
この小賢しい世情に どうして明るくなれる?
世の中が行き詰まり混乱しているからこそ 静かに目を凝らし耳をそばだて 未来に希望を見出す努力をしなければ。
探せばあるものだ、世の底流には次の時代への胎動が必ずある。 自分は本当の意味でのグローバリゼーションに目をやっているが
想像以上に大きく変化し 勇気をもらってる。
ヘンなのは誰?
人類は持続不可能な社会を作っているのだから 個人が引き籠ったり 不登校になったり うつ病や自殺したりするのは ある意味で自然な事である。 親の躾と称する体罰も防止法を制定したようだが、ならば同様に うつ病や自殺も防止法を作ったらどうか。持続不可能の究極的な意味は人間が生きていけないことを意味する。
生きていけない社会を作ったのだから 子どもが不登校になったら 赤飯炊いて褒めてあげた方が良い。
人の本末転倒した異常な判断だと真面目に考えている。
荒れに気づかぬ荒れ
自然や社会の荒れは見た目で分かるが
人は 誰しも見栄え良く振る舞い 巧言令色は人の常だから (人の荒れ)は見難い。
私たちは 荒れた地上に気が付かぬほど荒れているかもしれない。
テレビに出てくるタレントさんを見ながら 時々思う。
そこそこの心配
権力の後ろ盾である 企業 マスコミ 学者 等々は 果たして権力で真の利益を得ているだろうか?
確かに 特別な減税 補助金や支援 法整備 等 他と比較して都合よくしてもらっている。
しかし、長めに時間をとってみると 庶民が支配され毀損したものは いつのまにか後ろ盾の身に降りかかっている。
例えばマスコミは 情報提供の責任を棚に上げ 企業や権力に奉仕し、、今は 利用者の信頼を失い 経営に行き詰まる。
権力の票田は過疎化し軒並みシャッター街が続く。 この間 どれだけ大企業がありし日の姿を留めていることか。
国は借金を山ほど積み上げ 子どもの声は消え どこもかしこも年寄りがいっぱい。
せいぜい 失う時間に 多少の差があるだけではないか。
支配する者と支配される者 人間同士が損得で争い 大自然との合理性を問わずば 結局は共倒れ。
ただ大自然の合理性が人為を越えるから 余計な心配は不要だが 世情に流されない そこそこの心配は必要。