先を見せてくれ!

世界も日本も先々どんな形にしたいのかの展望が示されていない。
市民は将来どうなるのかが分からないまま不安材料で四面楚歌のよう。

世界にしろ国家にしろ政治やリーダーの役目ではないだろうか?

行き先は?

 

 

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「少年よ 今しばらくの辛抱や」

子どもの頃聞いた「少年よ 大志を抱け」はまぶしかった。

老い先短いこの老人は今満たされながら「少年よ 今しばらくの辛抱や」と伝えたい。

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せこさと物差し

価値を測る物差しは ある程度普遍的なものとその場を凌ぐ便宜的なものがあるようだ。

 社会が複雑化してくると とかくその場に都合の良い物差しに頼りがちになるが 逆に普遍的な物差しが必要なのではないだろうか。

 世の中が全体的に大らさを欠き 品の無いせこさが目立つのは 物差しが怪しくなっているせいかもしれない。(ありのまま)と(せこさ)は両立しないが勘違いし易い。(せこさ)は小人や小国だけではない。

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マスコミ関係者の傲慢さ

情報をキーワードにすると 人間活動は全て「情報処理」だと言える。

行き詰まり混乱した現代社会は情報処理の誤りとも言える。

情報の処理は至る所で行われるが社会的には情報機関であるマスコミ 新聞やテレビの役割は大きい。

その点では新聞やテレビは責任の一端を担っている。

情報の収集 整理 伝達が上手く行かなかったとも言える。

一方的に受け取らざるを得ない立場から言うと 私たち情報提供者の力不足と同時にマスコミ関係者の傲慢さが気になる。 

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マスコミの力量不足

仮に

報道されているパンデミックの被害が実際の被害の一部分しか報道されていないとすると、それは報道機関の権力への忖度ではなく能力の不足を表わすかもしれない。権力は被害情報を市民に伝えるかどうかは別にして 被害情報の不足が権力に都合良いはずはないのだから。最近 マスコミの力量不足を感じることが多い。

 

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パンデミックの実質的影響

パンデミックのは被害は とかく死者数や感染者数 医療機関のひっ迫度に行きがちだが、社会的には経済的被害であり それは 経済規模の大きい国家ほど大きくなるのではないだろうか(あくまでも仮説だが)

貧しき国家は失う物も少ないのだから。

その意味では パンデミックの社会的・経済的被害が大きかったのは 世界の中心である米欧かもしれない。パンデミックが世界に与えた被害や影響は報道されているもの以上に大きいかもしれない。

 

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せっかくの舞台

世界を米欧を中心に考えると 確かに日本は極東の端でありド田舎かもしれない。‥(東京から見ると私の故郷がド田舎であるように)

 パンデミック中にお祭りをやったり田舎芝居のような政局劇や政争ごっこをやったりしてるのも分かるような気がする。「ここは何所?私は誰?」の世界だから 中心から目を外してはなるまい 他所も見えて面白いし‥‥

 

 

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(傾聴法)の副産物

散歩をしていると何処かの6~70歳位のおじさんが 声をかけてくれて

回りの草花のことを一杯教えてくれた。植物学者のように何でもしているようだった。これも昨日勉強した(傾聴法)の副産物かもしれない。有難いことだ! 「教養と今日行く」の教えに従い 近々 真っ赤な彼岸花を見に行こう ‥そして図書館。

 

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大発見

日本だけ世界から反れて存在する事は出来ない。 世界の国々もバラバラな動きではなく関係し合っっている。何処を中心に関係し合い動いているか。

今朝、地球儀を回しながら歴史的に見て やっぱり大西洋をはさんだ 欧米 敢えて言うなら アメリカとイギリスではないかな?だと思った。

これまで とかく日本を中心に世界を見て来たが 世界の動きを客観的に見たら これまで見て来た世界の中心が違っていた。私にとっては大発見だった。

子どもの頃は札幌が 本州に渡って来てからは東京が中心だった。
何たって 自分は田舎者のお上りさん! 

 

 

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