競争の適否

確かに競争によって力が引き出され力を発揮することもあるし、逆に競争によって力が抑えられ発揮できない場合もあるんじゃないかな。

最近は あちこちで後者を想像させる出来事が多いような気がする。

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競争と協力

   競争と協力には こんな一面もあるんじゃないかな。

競争は勝つために相手の欠点を見つけることに意味を見いだし、協力は力を合わせるために良い所を見つけようとする。

 プラスの力を発揮するには 対人も対組織も対国家も同じかもしれない。

世界が一つにまとまり平和になる為には この論理が必要だと思う。

 

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社会的価値の変化と多様性

物体で変化しないものが無いように まして脳が創出する思想の価値は変化する。

10人には10種の思想があり、80億には80億種の思想があり、社会的価値は常に変化している。 文明や文化も同じだろう。

選別ではなく融合・包含の大切さ。

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国際社会との隔たり

世界をリードしている米欧の国々には日本の現状がどう映るだろう。

アメリカの盟友でありGDP世界3位 G7の有力メンバである日本だが、地政学的歴史的な意味もあって 日本の自己評価とは違うかもしれない。

大陸の端にある島 少子高齢化や財政悪化を抱え経済の縮小を余儀なくされている。こんな評価かもしれない。この評価が国際的競争の中に位置づけられる。

この辺の米欧の見方に日本がどう答えていくか それが求められていると思うが、日本は この総裁選やその後の総選挙で それを意識した行動をしているだろうか? 隔たりを感じている。

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どう見られているか?の意識化

世界が米欧を中心に動いている現在 各国はそれを意識して行動するのは自然だろう。それは人目を気にするのとは意味が違う。

結局 米欧に どう見られるか どう評価されるかは 各国の政治の決定では場合によっては国内事情や近隣国家との関係に優先させなければならない。

自主・独立の国家であっても国際社会から孤立するリスクは大きい。

この関係は自国だけでなく全ての国家に言えることだろう。

 中心になる米欧は世界全体を見て 行く方を見いだすことになるが 競争社会では難しい。 

 

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