平和を語る資格

これまで 国を越えて物事を見て来ただろうか?

 平和を語る時 自問したい。 少なくても国の枠を超えて物事が考えられずに 世界の平和が語れるんだろうか?

(もっと根本的には自然との関係があるがここでは省く。) 

     不明な己と多くの人がそこにいる。

 

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これまでになくよく見える。

80年も人間をやっていると沢山の戦争や紛争をマスコミを通して見て来た。今回ほど全容が見えたことは無い。

これが 80年間の進歩かもしれない。

情報の共有が進めば解決の助けになる。今回の紛争は当事者も野次馬もこの自分との関係も これまでになく関係性が見えた。勿論不明な所も沢山残ってはいるが‥

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相容れない所が不明

ロシアとウクライナで何回かの話し合いをしているようだが、どこで一致できないのだろう?

相容れない所を国際世論に明かすべきではないのか。支援したり制裁する関係者もそれを求めるべきではないか。

そこを曖昧にして紛争を長引かせているように見える。相容れない所がはっきりすれば解決策は作れるはず。力づくの紛争を力づくで解決することは出来ない。

 

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まともな相互理解

「世界は一つ」とは歌われるが、他ではあまり聞かない 特に政治では。

 実際は地球も世界も一つだが社会は無数に存在し、己の集団や社会を中心にし他者は己に関係し従属したものとして認識されていないか。この点で社会的認識そのものが事実に反しているかもしれない。

社会が分おしないと断され争う現代社会の現状に至る原因はそれなりに解る。解るがこれで良いわけではなく知的にまともな相互理解がないとしょうがない。

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