世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
事実に向き合う
学生時代 言葉を受け容れる事の大切さを学んだ。
今は 事実に向き合い 受け容れる事の大切さを感じてる。若い頃 勉強しておいて良かったと思う。
ただ 今は その事実が分からないでいる。
人の異常は何のせい?
異常な桜の花の咲き方が普通になって来ているらしい。温暖化のせいだと言う。
人の異常な行動も普通になってしまったものも 数多くありそう。何のせいだろう? 欲か 知能か?
あの顔はどう解釈したら良いんだろう?
自分が教育者として多くの間違いに気が付き 今反省しているように 何方も同じようなものかもしれない。
各界の指導者や影響を与えるメディア関係者も 同じかもしれない。今も自問自答し反省しているかもしれないし かつての自分のように気付かず いるかもかもしれない。
力の好きな人達へ
力の有る者が無い者を 力のある国が無い国を指導し引っ張っていくのは世の常か。
こうして現代社会が生まれた。 「平和」が聞こえぬ社会が生まれた。
今や 力有る者 力有る国を考え直さないと このまま続いてしまう。
「幸福」が聞きたい
皆 幸福を願っているのだから もっと「幸福」を口にすれば良い。希望が欲しければ「希望」の事を
日常会話の中で 難しい社会問題を議論する場で 宗教の場で 教育や芸術の場で もっと言葉が聞こえた方が良い。
言葉が遠のくと実態も遠のきそう。実際 遠のいていないか‥
たまり場の意義
文化の香りのする飲み屋や喫茶店 昔 カフェが芸術家のたまり場になり 交流し高め合った と聞く。
今、日本も世界も それが必要なんじゃないか。 一般市民が交流して知恵を高め世界の難問に向き合う。 これを無くして出口を見出すのは難しのではないか‥
人間も探索する動物
人類は多くの難問を抱え動きが取れないでいるようだ。
しかし 人間だから時間は掛かっても 必ず出口を探りだすだろう。探索能力は専門家ではなく素人の普通の市民の方が高いのでは。
勘違いに気付けば良いだけの話なんだから‥
取り違うのは普通
今朝 近くで新築の作業してる人に「お店を作っているんですか?」と尋ねたら、「今朝来たばかりで分かりません。」の答えだった。
専門職の人が何を作っているのか分からない 今の時代を目の前にしたようだった。
現代社会の分業化;仕事の細分化は秩序を欠き、本末転倒 枝葉末節 は、世の通常かもしれない。
直せない生活習慣などを含めると 自然と人の関係を取り違えるのは 普通であり納得出来る。
手を付けられないでいる私たちの映し鏡
プーチンが云々 の話は盛り上がるが、どうしたらあんなこと(戦争’)は避けられるか の角度からの議論が皆無なのは どうした事か?
長い事やってきた戦争 長いことやって来た自然破壊 長いことやって来た金儲け 生活習慣等々 人間は長くやってることに疑問を感じなくなり手が付けられなくなるのかもしれない。クセは直せない お伽噺かマンガのようなことをズーッとやっている 私もそう。
戦争にしっかり向き合えない私たちを映している と自戒しよう。