オバマ、気をつけて頑張れ!

オバマ次期アメリカ大統領は、地球温暖化対策を加速化させるため国内外に指導力を発揮したいとの談話を公表した。 

   地球の抱えている課題のリーダーとしての抱負に聞こえ、(限界を感じながらも)心強く思う。 
 
   日本も過去の3人のトップリーダーが地球温暖化対策のリードを宣言したが何れも実態が伴わず、その言葉はは足元から崩れた。 
  これまでアメリカは京都議定書批准からも離脱し国際的にも後進的な立場にいた。比較的ヨーロッパが先進的との国際的に評価されてきたが、影響力など不足があった。 
   これらのことから次期アメリカ大統領の談話は世界的に歓迎されているだろう。 ただ、オバマ氏が本当にリーダーの役割を果たせるかはべつで、目印を2考えている。 

   1、先ずアメリカが進んで実行する事。 
   2、温暖化対策を現在の市場原理や採算とは切り離した発想がもてるかどうか。   温暖化対策の技術や、排気ガスの売買が利益にする対策の技術論と対策の哲学をごっちゃにしている今の流れを整理できるかどうか。  
      もしこの2つがOK なら、地球温暖化対策だけでなく他の事でも、言い結果を生むとは思うが、そんな理想と、彼の命を天秤にも掛けられないし‥‥。 

 昔から、御伽噺のそばには 、怖い現実がある。

     
  

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メディアへの過信

戦前の大本営発表をそのまま発表した報道機関の情報と同様、現在の新聞テレビ等のマスメディアが流す情報の社会に果たす役割と共に欺瞞性を見分け判断するのは難しい。
とかく、盲目的に肯定するか全面的に否定するかに陥りやすい。
 しかし、どんな場合も情報処理の最終責任者は個としての自分にある。
 これまでもマスコミ批判を繰り返してきたが、恩恵と同時に欺瞞の深さが、未だ
見当つけられないでいる。
  
田母神氏の国会招致でその中継をNHKは独自判断で見送ったと言う。
 これまでの経過や実際の番組内容から,NHKへの幻滅は暫く前からあったから、流れの中でやっぱりと思うだけで済んだが、
 同時に、
 全てとは決め付けられないが、殆ど共通したマスメディアの不公正さを思い出してしまった。
  メディアのバッシングである。
   商品化した週刊誌的な話題も人権的には大いに問題があるだろうが、国民の社会認識や判断・行動を左右するような時事的な政治経済社会の現実の問題まで一方的にバッシング的に報道する姿勢は何時からとは思い出せないぐらい昔からあった。(ちょっとしたら、戦前の報道機関と体質的にさほど変わっていないのかもしれない。)
 
例えば、与野党・メディアはこぞって官僚批判をする。だが、官僚をテレビに登場させて討論させたのを見たことが無い。
 社会保険庁、公務員や教師批判も同様である。最近はモンスターペアレントも同じ。皇太子妃にも似たバッシングを感じる。
 批判する対象者のいないところで、いう場を与えず一方的に批判し槍玉に挙げる。
 この手法で喜ぶ人と困る人を見れば、このやり方の何故?の前後が分る。
 そろそろ、これも通用しない時代に入ってはいないか?
 にっちもさっちも行かない、ブーメランが己に向かってくる時代に入ってはいないか?
  「昔なら、飼い犬に噛まれた。」の言い方もあった。要するに飼い犬も余裕がなくなっている。
 
 
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テレビ番組の見直しを!

世界や日本の深刻な景気後退に、ハンドルが効かなくなったような政治。社会不安は高まり子供から老人まで不安にさいなまされる日々。 ナンセンスお笑い番組やグルメ趣味番組も気分転換でいいのかもしれないが、  今の世相を汲んで、番組に少しは配慮が欲しい。  
  子供や老人、生活に不安を抱える人も少なくない茶の間に土足で セレブや現実離れした耽美的な趣向を持ち込む報道機関や登場するタレントの良識と感覚を疑う。

 時代の最先端のような顔をした時代遅れ。

  KYを笑うKY

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「君が代」を歌えるようにする。の意味

学校教育の基準を示した指導要領の、改定で上記フレーズが指導目標に入るらしい。 
   実は、この事をこの日記で取り上げるかどうか迷った。 
  それは、私が卒業式などで問題にされる【君が代】の単なる反対派と取られかねないからである。しかし、それを承知で敢えて書きたい。 
   私は【君が代】の【  】の中に、他の歌でも、体育の跳び箱であっても、ひらがなの読みや算数の足し算や引き算であっても「~できるようにする。」を行政指導の指導目標にする事に同意できない。
     《ついここまで来たか》と学校教育への絶望に近い気持ちにさせられた。 

    大学以来、現場経験40年近く、指導要領の改編時はもとより、指導要領を脇に置き端から端まで何度読んできたか分らないが、唯の一度も【~できるようにする】の文体を指導要領の中で見たことが無い。
  それは、それなりに教育の条理ともいうべき大切な意味があっての事だった。
    勿論自分は学校現場で教壇に立ち、【~できるようにする。】を念頭からはずした事はない。しかし、行政的に用いられると、意味が全く変わってくる。 
   だから、これまでも、また今回の改変でも、【君が代】以外この文体は使われていないだろう。 
  しかし、国歌【君が代】を通して、学校教育の基本理念、教育哲学を変更を意味する一線を越える重要な意味をもつ。  ここは丁寧な説明が必要だが、1例だけ記す。  
   子供達は個々に条件が異なる。  耳が悪くてプールには入れなかったり、心臓や呼吸器系の病気で、医師から体育を止められている子供達をプールに入れたり飛び箱をとばせるか?。個々に《指導》以前の条件を備えているのが子供であり人間である。  
  通常~できるようにすると言う言いい方と、行政的に基準や目標で~できるようにするのは、   全く意味が異なる。
 教師の行政的立場と、目の前の子供や医師の診断のどちらを取るかを選択しなければならない。自分の立場に立つと教育の条理を損なう。 そんな指導要領があるだろうか? 
  教育基本法の第1条《教育の目的》は人格の完成(形成の意味)とある。  歌えるか歌えないかと、人格の完成はどんな関係になるか?  
   敢えてこの日記で取り上げたのは、これだけ学校教育の問題が問われている中で、こ教育の理念に関わる重要な変更をどのメディアも取り上げず、国民や保護者も知らない間に進んでいることである。 
  日本の3年以内の政治経済の行き詰まりは3年前、
   今日のアメリカ発の世界的スタグフレーションは、こんな私でも、個人的に情報をまとめ、2006年(5月)に予知し、予告的にこの日記に書き記した。しかし、ここに至るまで、政府もどのメデイアも【いざなぎ以来の好景気、30年ぶりの底堅い力強い成長と】言い続けてきた。 
   殆どの国民も世界もここに至って悪夢を見ている感じではないか。  
   情報化社会と言われ、情報が溢れているようだが、大切な情報は隠されたり、  間違った情報として流され、ヒトビトは意外なことに翻弄されぱなしなっている。
     大人はまだしも、子供達に悪くは無いか!

    お金の問題ではなく、大人の心の問題!

   落ち着いて考えれば常識的で誰でも分る難しい問題ではない。

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学校もマニュフェスト

新聞の1面トップで学校が保護者にマニュフェストを示すことを伝えていた。 学力テストを始め、これまでの教育行政には諦めににも似た気持ちになって久しく、いちいちは論じたくない。 ただ今日の内外経済危機やその対応を見ていると、何であれもこれもと言う歯がゆい気持ちになる。 特に日本の教育行政の拙さの大元は、子供への理解不足からきている。特別お金がかかるものではないから何とかして欲しいが、経済同様、逆走をするばかり。 

 

親も教師も、専門家からも何も聞こえないのが不思議だ。  経済も教育も見える風景は荒廃しているが、その下で、小さくても新しい芽は  着実に育っていることも確かなこと。  そういうものなんだ。 人為で好き勝手を何時までも続けられる訳が無い。

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G20を終えて

G20の結果を見て、この世界的景気回復にはかなり時間がかかりそうなことと、世界はこれからも今度のような或いはもっと大きな経済危機を、最低2~3度は経験しないと、持続可能な経済のスタートラインにも立てないなと感じた。 

   問題は現在の産業構造のの問題と、持続可能な産業のあり方がどこからも全く伺ず、当面の取り繕い的な対応に終始していたからである。

    2~3日前,NHKの特番「新BSリベート」で日本と世界の著名な学術・実業界の第一線の人が、衛星でつながり、世界経済の問題や今後を討論じていた。しかし、どの論者も現在に至った市場原理主義的な金融産業の範囲内で、誰一人その外側の産業全体の構造的な問題を指摘する人はいなかった。 
  今回の経済危機が投機マネーの乱脈による金融バブルがはじけた事だけだったろうか?単に経済運営の技術の問題だけだったろうか? もっと根底的な問題は無かったのか?
    返す当ても無く借金して消費し、生産を伴わないで利益を上げ、 有限な資源を掘り起こし燃やして物欲を満たしていることは関係なかったか。

 

 地球的な不合理、人間的な不条理が世界経済の危機の根底に横たわっていながら、 敢て、それから目をそらしているように見えて仕方ない。

   トウモロコシを主食にしている人たちが、トウモロコシが車の燃料に回され、食べるに事欠いている。 

   この事を。偉い人たちは原因と対策をどう考えているのだろう?

 

 

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あす金融サミット

 金融サミットに参加する麻生首相の提案骨子の中に、《外需依存の大きな国は内需主導型成長モデルに転換》が入っている。
   国内では与野党・学者など口を揃えて内需拡大を唱える。  日本の場合、国の隅々まで外需依存型の産業構造のモデルが出来上がっており、内需拡大で経済成長するようなできるような産業構造はとっくに壊され、政府の産業経済政策や景気対策に見られるように、日本にはモデルチェンジの発想も準備も無いに等しく、戦後の50年をかけて現在の外需依存体質国の隅々まで浸透させてきた。 
    そんそ国が従来の金融産業路線をひた走りながら世界に向かい外需を説く。 
    世界的にも珍しい赤字国家で産業構造転換の財政も無い外需依存の国が 外に向かって内需を訴えても、温暖化対策同様世界には「日本の話はホラ」にしか聞こえないだろう。 
  大国アメリカの世界的信頼が崩れる中で、小国の日本は大国ぶらず、身の丈に合った小回りの効く素早い動きを見せて世界に発信して欲しい。
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言葉

「いざなぎ以来の好景気」は最後まで全く実感がなっかったのに、「世界的不景気」は世界のニュースから街の隅々、我が家の台所まで実感は十分。  
          皆が使う言葉であっても、意味あるものから無いものまでこんなに違いがある。
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これも直感だが

ドフストエフスキーの【お金が世界を支配する】を現代の予言だとの評論を全くの的外れとは思わない。 
  そして、今日の金融危機を解決しようとする国内外の解決策もまた、お金に支配されているようにおもわれて仕方ない。
    学生時代、聖書の(神)のところを(お金)に置き換えて読み通したことがある。それなりに意味を成す。今なら(地球)に置き換えて読んでみると面白いかなと思う。 1度、頭の中が(お金)に染まったのを、(地球)へ変わるのは大変だとは思う。 
    ヒトビトは賭博で失敗したのに、懲りずにまた次の賭博の準備をしているようだ。  
    神の代わりにお金に換えて読んだのは50年前で、個人が変わるのは普通だが、 世界ともなると時間がかかる。  
    地球に人格があれば同じように思いながら、催促するメッセージを送り続けるに違いない。  
    (古い)権威ある  リーダーの言う事より、地球に耳を傾けたほうがよっぽど先の予測が当たる気がする。

   人間のどんなに小さな「新しい芽」でも、目と耳を凝らして追いかけると、追いかけがいがあるからいい。

        地球と同様、元々そういうふうに、出来ているのだろう。

 

 

 

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文学

世界中を覆う閉塞感の中にあって、文学への関心が変わって来て内外の古典文学が見直され ていると言う。
  「ドフストエフスキーは、21世紀の現在を神が支配するのではなくお金が支配する事を予言していたようだ。」と評論する人もいる。 蟹工船云々は耳にしていたが、よく分らなかった。
   夏目漱石が語られたり、寅さんの俳句(風天)を見ていると、何だか今文学が読まれる訳が分る様な気がしてきた。 
   懐古趣味でなく人間を取り戻す、時代の【新しい芽】になるといい。

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