世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
普通がいい
こんなにコマーシャル的な感覚が 風靡し浸透すると 宣伝用の言葉やしぐさや顔が増えてくる。
国会の議場に並ぶ人たちを見ていると 出てくる言葉や 心の底から幸せを願っている顔には見えないのは 私だけだろうか?
商業用に作られた言葉や顔ではなく 普通に幸せを語る言葉や顔が 増えるといい。
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棚ぼた
トランプ氏によってナショナリズムが強調されているが 逆にグローバリゼーションの現状が認識され意識されてもきている。
反面教師的な意味で 良かったか と思う。
これをきっかけに 競争原理にブレーキがかかり 世界がまとまり物事がもっと早く グローバルな視野で 処理(統治)されるようになると良い。
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悲鳴
朝から晩まで どこもかしこも コマーシャルとコマーシャル感覚が溢れてる。
特別望んでもいないから(支配されてる)かのようだ。
商業ばかりか 政治や教育・文化 国会からニュースに至るまでが 染められている。
私は 幸せを探すため自由で在りたい。 おしきせのコマーシャルに支配され染められるのは まっぴらだ。
まして 子供たちまで染め上げ、一方的に売りつけ、商売の道具にするのは止めてくれ! 大人たちよ 恥ずかしくはないか! 将来、笑われるぞ!
(54年ぶりの11月の東京の初雪に 少々…か?)
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ここは地球
【人類は 有限な地球にあって無限に富を求めている。】 かのようだ。
内外のニュースを見ていると (大袈裟な言い方だが)そんな気がしてくる。
窓の外の54年ぶりの初雪と内外のニュースを見ながら 改めてその思いを強めていた。 2017・11 AM 9:00 雪 東京
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「日米基軸」の前提
「日米基軸」の主観的言葉は良いとしても 時と場合による。 世界を舞台に国家があることを考えるなら 全方位が基軸の前提として認識していなけならない。
世界が混乱している現代においては 「グローバリゼーション」を唱え推進しながら 世界に対し全方位の認識無しに臨んでいては
論理的に自己矛盾を増幅するだけだろう。 実際そうなっていないだろうか? 特に最近、国の内外で「当て外れ」が多い。
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預けられない下駄
共依存関係が この混乱した世界を招いてはいないか。
目先の利益や権威が 思考停止の要因となり それが上・下 左・右に拡がっていないか。
特に最近は 宗教や学問までもが思考停止の仕掛けになっている気がする。
歴史的に 文化・文明に果たしてきた宗教や学問の役割は大きい。 本来的にはその必要性は今も変わらないと思うが、現代は利益や権威と
同様 宗教や学問は 儀式化・イベント化し社会に組み込まれ 現実的に解決すべく追究が陰に潜み見えない。
宗派を越えて宗教的真理の追及こそが信仰心であって、祈ることが目的的であっては 本来の信仰心ではないし
学問は」向学心あっての権威ではなく謙虚さが求められる。
現代社会では宗教や学問までもが共依存関係に組み込まれているようだが 人は幸福を追求する条件として共依存関係から脱する必要があるが、
特に現代は 各個人に求め られているのではないだろうか 。 他の人に 自分の幸福追求の下駄を預けては 始まらない。
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生み出さない限り始まらない
次世代用の車やロボットはできても 次世代用の政治や経済は 難しそうだ。
次世代用の価値観や世界観など お金のかからない人間の精神的な進歩は 目に見えるものより後になると言う皮肉な事。
精神が生み出す理念や価値観は お金や権威とは関係なく 生活者は皆対等だから面白い。
(社会が取り上げるかどうかは別だが)誰であっても生み出さない限り始まらない。
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楽しみの根源
先ずは グローバルな変化に対応し それから 地上の変化に対応するんだろう。
今はグローバルどころか 国家を中心に目先のお金を争って追い求めている。
当然のように リスクは増すばかりだから 結局は なるように成る。 だから楽しみ。
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情報処理の古い習慣
昨日、ある大学の講座で「図書館の利用者を増やすマネジメント」について 数人で知恵を出し合うような課題が出された。
なかなかすっきりした案が作れなかった。どうしても自分がどう動くかの着想しか浮かばない。
マネジメントだから 積極的な立場で考えるべきだが 受け身で考える癖がついている。
今朝になって
どうして本を読む人が少ないのだろう❔ 図書館の現代的な役割は何か? などやっと思いついた。
世界が行き詰まり そのもとで不安を感じながら暮らしているのに それにこたえてくれるような本が 果たして図書館にあるのだろうか? そうは見えない。
農産物なら消費者と産地を繋ぐルートもあるが 本では見当たらない。それどころか本屋の店頭からは いただけない本が増え 読みたい本が姿を消していることは少なくない。
多分 お金にならないからだろうとは思うが そのしわ寄せが今は本屋に跳ね返っている。ある意味で図書館も同じで 本を読んで 行き詰まりのさらに迷いを深める人は実際少なくない。
そこが昨日のマネジメントで学習し考えなければならないポイントだったと思うが 私の頭は 永い間に身に付けた習慣で 知らぬ間に受け身でしかとらえていなかった。多分,他にも色んな情報を習慣的に受け身で処理しているんだと思う。
これは私だけでなく いろんな分野のいろんな立場の人や組織の多くが 同じではないだろうか。
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余力のあるうちに
特に日本は産業構造の見直しと農業への転換が求められているのだが 轉換への余力は 何時までも残ってはいない。
余力を無くしては轉換への方向転換を図ろうとしても難しい。
トランプ現象の間接的に伝えた宿題は この事だと考えている。
今は 政府もマスコミも国民も ソッポを向いている。
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