牢屋敷

 

   世界におけるアメリカの影響力がいかに大きかろうと

   地球の温暖化を止めるべくパリ協定から離脱するアメリカに追随するのは いかがなものだろう?

  経済や安全保障を大事にするなら猶のこと 基軸の中身をはっきりさせないと辻褄が合わない。

   政府や新聞・テレビは 説明しているだろうか? 見たことも聞いたことも無い。

    牢屋敷にいるようだ。

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解らない自分

 

   資源を食い潰し自然が破壊がされてる現状を どこがどう取り上げてどうなっているかの情報が無い。

 まともに向き合っているようにも思えない。

  人が自らの幸せや子や孫たちの幸せを望んでいるなら 世界の現状を見ない振りしていられるだろうか。

  仮に貧しくても 生きていたいと 生きてもらいたいと 願わないだろうか。

   皆の気持ちが解らないでいる自分が ここにいる。どっちかが 認知症なんだろうな。

 

   

  

 

   

 

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台風一過

 

  人類史上 今のように人類が地上を壊し 人類全体がその犠牲を被ることは無かったと思う。

  その意味では かつてない時代の転換が 人類に求められている。

  グローバリゼーションの進展は 喜ばしい。

  ただ 日本の参院選に見られるように 社会的な転換への計画的な努力は甚だ心もとない。

   大騒ぎしたこの選挙で 幸せの基になる環境や人々の自然がどれだけ回復するか? (期待はしていないが)

  動きや変化は追って見たい。台風が去った後の荒れ果てた風景と虚しさを感じている。人は お金を求めるばかりで 本当に幸せを求めているのだろうか?

 

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選挙の意味が解らない

 

個人的な印象だと 周りの人が一番いいい顔をしていたのは せいぜい小中学校時代までだったような気がする。

   高校では進学熱がかなり高まっていたから 子供たちの自由な遊びは 少しづつ姿を消していた。

   1960年入学した大学時代は地方都市のせいもあって 育った北海道の田舎とは大違いで 遊ぶ子供の姿はほとんど見かけなくなった。

 今思う。

   この戦後の72年 人々の顔は幸福そうに明るくなっただろうか?

   どう考えても私にはそうは見えない。 みんなはどう思っているんだろう?

  朝 妻にせかされて投票してきたが 印象としてはこれだけ選挙をしているのに 大人も子供も だんだん暗くなっている。

  子どもの声は聞こえず 道端や縁側で世間話に花咲かせる老人や大人をさっぱり見なくなった。

   皆は選挙の意味や世の中のことを本気で考えているんだろうか。私には解らない。

 

 

  

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社会に追い詰められて

 

   自然 人 社会  と並べて考えたこと。

   人は 社会から追い詰められ(社会は人を追い詰め) 自然から切り離なされていないだろうか。

   主語を自然や人や社会にすると 絵が別になる。

   社会から追い詰められた人が火を放し 30人からの人を殺してしまった。

    追い詰めた社会は ほとんど問われない。 これではこの類の事件は止まない。

 

  

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恥ずかしい

 

 帝国らしき国の大統領が 批判する人に「文句があるなら 壊れた自国へ帰れ!」の声を浴びせ 聴衆は「帰れ 帰れ」拍手喝采する国家がある。これは特別ではなく 全ての権力者の本音だろう。

  批判は国家だけでなく全ての発展のエネルギー元だと考えられるが それが封じられるのは 発展の芽を摘むことになる。

  世界が順調でであればまだしも 世界の行き詰まっている現状を認識出来ないでいるようだ。

  私たちにとっても 他人事で済まされない破壊以前の野蛮さを感じる。恥ずかしくて子供には見せられない。

  

  

 

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選挙の不思議

 

   世の中を良くするために 選挙へ行け行けと あちこちから声がかかるが 選挙で世の中は良くなっているだろうか?

 戦後70年以上 色んな選挙を何回積み重ねただろう。その結果 地球は壊れかけ 日本は老人と借金と自殺の大国になった。

  

   選挙を繰り返しても良くならない原因を皆は考えないのだろうか? 不思議である。

   選挙に行かない方が自然に思える。選挙は単なる得をする人達の道具であって選挙民は利用されていないだろうか。。

   

    

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本末転倒

私たちが学ぶべきは 既成概念のべったりへばりつき身動きできないでいる「先生」なく 自由な幼子ではないだろうか。

 大人は1人前の社会人に育てようとするが 社会そのものがおかしくなっている現状では 大人は本来の在り方を見出すべく 幼子から学ぶ方が合理的ではないかと 本気で考えている。  だから「先生」の話は眠くなるが 幼子の遊ぶのは面白くて飽きないのが何よりの証拠じゃ。

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2つの壁と固有の感覚

 

自然をも国家存立の基盤として憲法を持っている国家は 未だ地上には無い。

 憲法は自国を中心に作られているから 世界がグローバルに動き変化する時代にあっても 政策をグローバルに発想することすら難しい。 これが世界の現状だろう。 

   現状の行き詰まりに対応するには国家と自然の壁を越えた 2段階の発想の転換が必要になる。

  今世界は 1段目の壁にぶち当たっている。

   国家とは別に個人の暮らしは 憲法等の壁で規制されるも 究極的な壁は作れるものではなく自由である。

    個人固有の感覚を他がどうして変えられようか。

    

  

  

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幼児の動きから学ぶ

幼児の動きを見ていると 全身の感覚が全方向に働き反応しているかのようで

 動く仏像にも似ている。

 大人の個別に異なるが感覚が特定の方向に働き反応しているのとの違いを感じる。

 特定の動きが求められる時は後者は効率が良いが 主体的な探索には向いていない。

  現代社会が求める創造的な活動には 幼児の全方位感覚が大事ではないか。

   学力テストの成績を上げる教育は全方位感覚を育てるのとは相容れない。

 

  

 

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