森の幼稚園へ向けて

 

  

   11月の森の幼稚園全国フォーラムは

   自然をベースにした教育を拡げ 如何に公へ繋ぐかが課題だろう。

   必然性を科学的に明らかにするのは難しいが 論理と生体測定の両面から試みたい。

 

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次代への引き継ぎ

 

   人類史の背景に地球史がある。

   地球史に現代のグローバリゼエーションを置くと地球的な意味は解り易くなる。

    現代においても日本の「井の中の蛙」傾向の強いのは 地上の狭い範囲の短い歴史をベースにして判断し行動する

    性向と関係がありそう。

    それはともかく 現代を生きる私たちはそこから抜け出すために内外の出来事を地球史を物差しにして測り行動することを考えないと 未来や希望を描くのは難しい。それが欧米も為し得ていない 次代の人類へ引き継ぐ一番の中身だろうと思う。

 

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井の中の蛙 大海を知らず

「井の中の蛙大海を知らず」は 今や日本だけではなく人類全体への教えになってはいないだろうか。

  海が変わり陸地が変わり空が変わっているのに 目先のお金に群がり勢力を争う。

   世界の富は減少し続けるも 目先の富を追う。

   難民を生み放置しながら 対朝鮮 対イランに目の色を変える人間への教えと警鐘。

    それには目もくれない 言うことをよくきく素直な大人の参院選挙の声より 天真爛漫な素直な子供の声が良い。

  自然な動きをしていた幼児がいつどのようにして井の中の蛙になったか。

    教育の果たしてる役割は(特に日本では)大きい と思われる。

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森の幼稚園の先にあるもの

 

  社会化され過ぎた人類は 自然への不適応現象を来してる。 とすれば社会の在り方だけでなく文化そのものが問われることになる。

    なかでも 経済活動 教育 情報は検証の対象か。

 「森の幼稚園の先にあるもの」はこれだろうと思う。

 

    

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言うことをきく良い子

 

 「言うことをきく素直な子」と「天真爛漫な素直な子」

  素直な良い子にも2通りある。

  子どもの頃 前者の良い子を求められ褒めるのを多く見た。 後者を求める大人は「話がわかる」と子供の中では人気があったが多くは無かった。それを言う大人は学校の教師や親だったが 教師の方が権威があったから子供にとっては

 教師の目線が一番気になった。

  今考えると 学校や教師には学校の仕組みやカリキュラムがあって それを子供にあてがうわけだから 言うことを聞かせるのは 仕事であり 言うことを聞く素直な子を良い子として扱うのは当然で もともと子どもの心とは立場が違う。

 特に学力を比較競争する今の教育は 権威に素直な子を生み、自然への反応を鈍をらせるのは仕方ない。

 良い子はやがて環境や人の自然をも犠牲にして社会的価値を求め発展させようろとするが、社会が持続不可能で行き詰まった現状の今日は 教育の原理原則を本来へ戻し人の価値観を変えるほかない。

 

 

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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78歳初日

 

    大自然の健康診断は誰がするんだろう? 誰が管理しているんだろう?

 ちょっと思いつかないが  誰もが 程度の差こそあれ 地上の自然はおかしくなっていると感じているのではないだろうか。自然が壊れては 人は存在すらできないのに その危機感が感じられない。(政府はもとより マスコミ 選挙ではどの党派からも  全くその声は聞こえず情報は たまに伝えられる程度)

 やはり 人は大自然との関係でも上手く反応出来ていない。 人は己の自然としての体にも上手く反出来ないでいることが類推される。身近な世間に反応しやすい民族性からして 特に日本が気になる。(78歳の初日)

 

 

   

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会話で大事な事

 

  視野を狭めたことが今の行き詰まりを来しているのに 視野を広げるべく議論にはほとんど出会わない。

  年金 憲法 対韓国 など重要な問題に世界や自然を加味した分析は見当たらない。

  身近な会話も同じようにせこせこしたものになってはいないか?

    会話を楽しむポイントは視点を他に移したり拡げたりすることが大切かもしれない。

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満足

 

 

      この地の梅雨明けは来週らしい。

     グズベリーの赤くなったのが山ほどとれ、畑の採りたてのキュウリやトマトは初恋の味。

      芋を掘る 彼女のこみ上げる喜びの声

      雑草を抑える藁をまきながら スズメの振る舞いをながめていた。  大満足!

       ポストからはみ出した新聞の見出しは トランプ氏 韓国 イラン 難民 参院選。 

                    世は 子どもから老人まで せきたてるが   ものは 成るべくして成る それだけ。

 

   

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実体のない全て

 

 

   全ての中身は人によって違う。

恋人であったり 家族であったり 世界であったり 国家であったり 信仰や芸術であったり・・・

    各自の相異なる全ての中心が人や自分の思いだったら 実体のない全てになりはしないか。    

      そんな全てが 世界を作ってはいないか。

 

   

    

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始める時

 

   自然と人の関係は

   倫理や道徳や各分野の研究や実践だけでなく人間形成の基本として 生涯ものとして押さえなければならないのだが、

   基本なだけに身に付けるのは難しいのかもしれない。

、  基本は出来るだけ幼い頃から経験した方が良い。

    それとは違った育ち方をしてきた私たちは 伝えるのが難しい。でも始めなきゃ。

   

   

    

 

 

    

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