心の準備

1自然と人

2今 求められる教育原理

  この2つが 岐阜へ向けての要旨だろうと考えている。

教育では探索行動と身体感覚の大切さを 計測結果を加えて具体的に説明したい。よっぽど考えないと伝えるのは難しいよな。

    

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パッチワークをきれいに

 

 

   昨日 自然派である友達に「地球と人」の関係を話した。 話の途中で自然中心と人中心が入り混じったパッチワークが張り付いてるイメージが浮かび 自分が重なった。

    自然中心で在りたいと願っても すでに沢山の人中心が張り付いている。伝えるのは本当に難しい。

    全部きれいには出来ないだろうが もう少し整理整頓したら もっと世界が明るくきれいに見えるだろう。

    

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考えてることが解らない

 

  人類が共生・協力を求めるなら兵器は必要ない。

    これまでのしがらみで必要だとしても願いを実現しようと思えば 減らす努力は常に求められるが

   今は どうなっているんだろう。

     特別扱いされてる 兵器の生産 売買 輸送 消費など 分からないことだらけだが

      本当の意味で安全保障を考えたら そんな呑気なことを言ってられる時代ではないはずだ。

                 一体 人は 何をどうしたいのだろう?  

     

 

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せこいのは嫌い

  個人の意思と言っても 対象が限定されたものと あまり限定されないものがある。

  比較的 欧米では後者 日本では前者の意思が問われることが多いような感じがする。

  これは物事の選択においても言えそう。

  行き詰まっている現在 自然と共生し人の支え合う関係を樹立し発展させようとすれば 基本に立ちりやすい

  のは 後者だから もっとのびのびやらないと・・・

 

 

 

  

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事物の関係を知る

水先案内するはずのマスメディアが営業に走りその任を果たさないのだからゴチャゴチャするのは仕方ない。違法ではないから許されているのだろう。

 ただ 物事は 人の思惑や情報の如何では決まらず 事物の客観的な関係で決まるものだ。 問題は 人が事物の関係を知ることが出来るかどうかである。

   「自然と人」を基に出来ずに 事物の関係は 始まらない。

 

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パズルを解く

 
     ポスト真実と言われる世相の中で さらにこれだけ情報が隠されたり曲げられたりしては  世界の平和や経済の実態を知るのは パズルを解くに等しく 人々が 世界空間と自分の関係を見失っても仕方ないかもしれない。

 地球規模の自然の破壊や多くの多様な難民を放置し 力づくで弱肉強食の経済戦争に狂奔する人々も 必然的な真のグローバリゼーションには勝てなまい。バツ悪いのを隠して白旗を上げるのを何度見てきたことか。

 これが世界や国内のパズルをやる楽しみかもしれない。次の白旗は・・・

  

 

  

  

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共生協力社会

 

世界は基本的には共生協力社会へと進んでいるが 真逆な現象が目立っている。

ここに来て日・韓 米・イラン が注目されているが マスコミの報道をよそに 部分的な混乱として終始するだろうと考えている。

参院選挙は与野党とも現状や実態を見ない空虚な政策を掲げた内輪の争いにすら見える。どこが勝っても良くはならないだろう と考えているから投票をせかされることに

不快感を感じている。

  

  

  

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最後の遊び

残る人生は 地球や自然無くして人も社会も存在しないことを 宣べ伝えたいと思ってる。

 どう伝えるか どれだけ伝えられるか それが最後の遊びだろう

  

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平和への具体的な国内貢献を

 

来年 日本は 世界平和の祭典 オリンピックを実施するが 実際 日本は

  世界平和に全体としてどのように貢献しているだろう?と思ってしまう。

  世界平和どころか国内の平和もあれこれ気になることが多い。

 派手に祭典をしても 平和にとって悪い見本を世界に紹介しないだろうか。

  アレはアレ ではなく 全体的に世界平和への貢献を議論しているのを聞かない。

   難民対策 地球環境対策 軍縮 原発など産業政策 少子高齢化や借金で  世界的に褒められない話は耳にするが 褒められる話はあまり聞かない。

 

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何時でも大丈夫

 

  子供のころ 野山で思いっきり遊んだ経験が 現在 世界のことや教育のことを考える最高の下敷きになっているのは有難い。

   あの経験が無かったら 思いも心境も 今にはほど遠かっただろうと 当時の環境や人々に感謝している。両親は心から喜んで迎えてくれるだろう。

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